虹写真はイメージです Photo:PIXTA

「僕みたいな役立たずは、死んだほうがいい」と絶望するのは、胃がんのステージIと診断された20歳の浪人生。「がん哲学外来」のベテラン医師が彼の心を救い、大学合格にまで導いたのは、粘り強い対話からの“金言”だった。本稿は、樋野興夫『もしも突然、がんを告知されたとしたら。』(東洋経済新報社)の一部を抜粋・編集したものです。

がんの治療を拒む若者に
先生が口にした意外な質問

「治療は受けない。どうせ治らない。だったら苦しいのは嫌だ。そう言うんです、この子。どうすればいいんでしょうか」

 この日、「がん哲学外来」の個人面談にやって来たのは、母子の2人連れだった。がんなのは息子で、名前は遠山俊彦君、胃がんのステージIと診断された。息子は今、20歳で、大学受験のために予備校に籍を置いている。1カ月前に胃痛を訴えたので、「念のため」と母親が診察を受けさせたところ、運良く初期で発見されたのだという。

 ところが、患者は主治医の勧める治療を拒否した。いくつか提示された選択肢のどれも選びたくない、治療を受けたくないと言ったらしい。

 母親は樋野先生にこうした事情を話すと、続けて、主治医の提示した治療法について、細かく先生に質問をする。

 樋野先生は尋ねられたことに、ひとつひとつ丁寧に医学的な説明をした。

 主治医の勧めていることは、ごく妥当な標準治療であること。説明も診断も妥当だと思われるし、他の医療機関へ行っても恐らく同様の治療法を提示されるだろうこと。治療の際に予想される痛みや副作用についても、医師の説明はその通りだということ。

 総じて、先生の説明は「主治医の治療法は信用して大丈夫」という内容だった。

 母親は横に座る息子のほうを向いた。

「ねえ、大丈夫だって。受けましょ、治療。治るのよ。そうですよね、先生」

 同意を求められると、先生はのんびりした声で答えた。

「その可能性は高いと思うよ」

「ほら。ね?治療、受けるわよね?どうなの。何か言ってちょうだい」

 だが、彼は無反応なまま。

 先生は息子のほうへ向き直る。ゆっくりとした口調で話し始めた。

「治療は受ける気がないんだね」

「はい」

「治らないと思っているからかな?」

「……はい」

 息子が何も言わないのに焦れて、矛先を他に向ける母親。

「説得してくださいな、先生」

 だが、樋野先生が口にしたのは全く別のことだった。

「あなた、何か趣味はある?」

 若者が先生を見た。思わず、という感じ。表情に微かな戸惑いが表れている。小さな「?」が彼の頭の中に見えるようだった。なぜ、今、そんなことを聞く?母子ともにそう思ったに違いない。