そこで当時の米中央情報局(CIA)は、英国の民間軍事会社セキュリティ・アドバイザリー・サービス社(SAS)を雇い、英国の元軍人たちを「軍事顧問」としてアンゴラに送り、UNITAやUNITAと連合を組むアンゴラ解放民族戦線(NFLA)に武器や軍事訓練を提供した。アンゴラはすでに冷戦時代から、内戦に民間軍事会社が介入する経験をしていたことになる。

 1989年に冷戦が終結するとソ連やキューバの支援は消滅し、米国も秘密工作から手を引いたが、一部の西側企業が間接的にUNITAからダイヤモンドを購入し、複雑な裏取引の中で南アフリカ軍の一部がUNITAに武器を供給するネットワークが残っていた。

アンゴラ国軍と共に戦い
反政府勢力を弱体化させたEO

 そうした中、1993年にUNITAが、MPLA政権が支配下におさめていた重要な石油施設のある海岸の町ソヨを奪取し、国内の勢力範囲を拡大させた。この反政府勢力の攻勢を受けて困ったのはアンゴラ政府だけではなく、同政府と組んでこの地域で石油開発を進めていた外国の石油会社だった。

 当時アンゴラ政府の貴重な財源となっていたソヨの石油施設は、国営石油会社ソノガルと英国の石油王トニー・バッキンガム氏が創設したヘリテージ石油が所有していた。

 この構図の下、EOはアンゴラ政府とヘリテージ石油のためにUNITAとの「戦闘」に参加し、ソヨを奪還するだけでなく、その後もアンゴラ国軍と共に戦い、最終的にはこの反政府勢力UNITAを弱体化させ、内戦終結にこぎ着けることになる。

 しかし2018年に刊行されたバロウの回顧録によれば、EOは最初から「戦闘」業務を請け負っていたわけではなかったという。バッキンガムが当初バロウに依頼したのは、UNITAに占領されたソヨという港町に置かれたままになっていたヘリテージ石油の重要な機器を回収する石油会社社員たちの警護だったという。

 当初は、アンゴラ国軍がソヨをUNITAから奪還する作戦を実施し、EOは奪還後にソヨから機器を運び出す石油会社社員たちの警護を提供する、という契約だった。