ところが、アンゴラ国軍と調整を進める過程で、彼らが現地の十分なインテリジェンスを持っておらず、作戦計画も杜撰だったため、EOが作戦立案のアドバイスを提供し、国軍に訓練を提供し、結局は国軍を支援して作戦を実施することになった。

 しかも、当時南アフリカ軍が密かにUNITAへの支援をしていたことから、EOの関与に反対し、EOの作戦を妨害する目的で作戦の前から情報をメディアにリークし、UNITA側にもEOに関する情報を提供していた。

 このため、アンゴラ国軍とEOはUNITAの待ち伏せ攻撃に遭ってしまう。さらにアンゴラ国軍が経験不足と訓練不足で実際の戦闘現場でまったく役に立たなかったため、結果としてEOの戦闘員たちが戦闘を指揮し、EOのメンバー3人の死亡を含む多大な犠牲を払いながら、やっとのことでソヨを制圧したのだった。

 元々、UNITAとの「戦闘」はアンゴラ国軍の任務だったのだが、国軍の能力が低かったことと、UNITAがEOとアンゴラ国軍を待ち構えており攻撃を仕掛けてきたことから、激しい戦闘に発展してしまったのだった。

 バロウはこの事件について、「ごく単純な警護任務のはずが、本格的な軍事作戦にエスカレートしてしまった。そんなことは予定していなかった」と回顧している。

 しかしこの一件の後、アンゴラ政府はEOに巨大なプロジェクトを持ち掛ける。ソヨでのEOの働きに感銘を受けたアンゴラ政府は、国軍全体を再建し、UNITAに勝てる実力集団に鍛え上げて欲しい、という途方もない依頼をEOに提示したのである。