これはバロウが南アフリカ軍で培った特殊偵察やCCBで培った情報収集、秘密工作活動のスキルを、民間企業向けに適応させて行ったサービスだと言える。また、南アフリカ軍特殊部隊向けの訓練はその後も継続し、訓練に加え、特殊部隊が使用する装備品の調達業務も請け負うようになった。当時、国際的に制裁下に置かれていた南アの白人政府が国際的に軍事装備品を調達するのは容易ではなかったが、バロウはCCB時代に欧州や中東、アジアで構築したネットワークを通じて、特殊な軍の装備品を調達したという。

 EOに飛び込んできた次の大きな仕事は、その後の民間軍事会社の歴史に大きな記録を残すことになるアンゴラでの「戦闘」業務だった。といっても、最初から「戦闘」サービスを提供する予定だったというわけではなく、結果としてそうなってしまった、との表現が妥当かもしれない。詳しく見ていこう。

CIAは英国の民間軍事会社を雇い
アンゴラの反政府勢力を支援

 アンゴラは、アフリカ第二の産油国でダイヤモンドの主要産地でもあり、この豊富な資源ゆえに植民地時代から大国の干渉を受け続け、1975年にポルトガルから独立を果たしたものの、30年以上戦乱に明け暮れた国だった。内戦を長期化させていた原因の一つは、政府と反政府勢力の双方が地下資源を支配下におさめ、その豊富な資金源を背景に戦争を続けていたことである。

 アンゴラ解放人民運動(MPLA)主体の当時の政府は石油を、そして最大の反政府勢力であるアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)はダイヤモンドの産地を押さえていた。

 しかも、冷戦時代にはソ連とキューバがMPLAに軍事支援をしたことから、米国等の西側陣営はUNITAを支援するという対立構図が存在した。とりわけ1970年代後半は、ベトナムが共産主義陣営の手に落ちたこともあって、世界中で米ソ代理戦争が激化。当時の米国は、アンゴラの共産化を何としてでも防ごうと躍起になっていた。

 ところが米国は、ベトナム戦争の影響で米兵をアフリカに送ることに国民も議会も消極的で、米議会上院は1975年12月19日に、米政府の対アンゴラ援助拡大案を否決し、アンゴラ内戦への関与を制限した。