80年代、立身出世に
必要なのは「コミュ力」

 なぜ処世術やモテ術を語った「BIG tomorrow」は1980年代に人気を博したのか? 答えは簡単で、サラリーマンの間で「学歴よりも処世術のほうが大切である」という価値観が広まったからだ。

 80年代、大卒イコール少数のエリートという意識は薄れ、それよりも入社した後の企業内の昇進が注目されるようになった。つまり学歴で最初からコースが分かれるというよりも、学歴に関係なく「自分も出世できるかもしれない」という期待を入社後も持つことのできる文化が醸成されていたのだ。

 そして企業に入った後の出世コースの「選抜」においては、学歴や知識ではなく、処世術、つまりコミュニケーション能力が重視されていた。

 こうして60~70年代にあったサラリーマンの間の教養主義の残り香は、80年代には、消え去ることになる。労働に教養が貢献しなくなったからだ。

 70年代にはまだ、進学できなかったことによる学歴コンプレックスから教養を求める労働者が多数存在した。だが80年代になり、進学率が高くなるにしたがって、学歴よりも、コミュニケーション能力を求める労働者のほうが多くなった。

 労働に必要なのは、教養ではなく、コミュニケーション能力である。─当時のサラリーマンがおそらく最も読んでいたであろう「BIG tomorrow」のコンセプトからは、そのような当時の思想が透けて見える。

 70年代までは、教養─の延長線上にある「学歴」こそが労働の市場に入り込む必須条件であり、それを手にしていないことへのコンプレックスも大きかった。

 しかし80年代になると、学歴ではなく、「コミュニケーション能力」を手にしていないコンプレックスのほうがずっと強くなったのだ。

 このような補助線を引くと、1980年代のベストセラー文芸─『窓ぎわのトットちゃん』が500万部超、『ノルウェイの森』が350万部超、『サラダ記念日』が200万部超─という華麗なる発行部数にも、ある種の合点がいく。というのもこの3作品、どれも一人称視点の物語なのだ。

『窓ぎわのトットちゃん』と『ノルウェイの森』と『サラダ記念日』の共通点。それは作者の私小説的なフォーマットに則っていることである。

『窓ぎわのトットちゃん』が自伝的フィクションなのは明白として、『ノルウェイの森』は、ワタナベという主人公の名は作者の村上春樹とは別にあるものの、描かれた学歴や時代性などは作者本人の私小説かと読者に思わせる。本当に私小説かどうかはさておき、読者にそのような印象を与えているということだ。そして『サラダ記念日』は短歌という、主語が作者であることが前提の文芸だ。