つまり先の3作品、どれも「僕」や「私」の物語なのである。

 一週間たっても電話はかかってこなかった。直子のアパートは電話の取りつぎをしてくれなかったので、僕は日曜日の朝に国分寺まで出かけてみた。彼女はいなかったし、ドアについていた名札はとり外されていた。窓はぴたりと雨戸が閉ざされていた。管理人に訊くと、直子は三日前に越したということだった。どこに越したのかはちょっとわからないなと管理人は言った。
 僕は寮に戻って彼女の神戸の住所にあてて長文の手紙を書いた。 (村上春樹『ノルウェイの森』)

 70年代のベストセラー文芸が松本清張や小松左京といった社会と自分の関係をしっかり結んでいる作家の作品だったのに対し、80年代ベストセラー文芸は、「僕」「私」の物語を貫き通す。

「僕」から見た世界は、「私」から見た関係は、今こうなっている。そしてその「僕」「私」視点は、ほかの人に届くかどうか、分からない。もしかしたら届かないかもしれない。しかし「僕」「私」の思いは、コミュニケーションで伝えられなくとも、自己表現されうる。それが80年代ベストセラー文芸に見る傾向なのだ。

 そう、70年代と比較して、80年代は急速に「自分」の物語が増える。そしてそれが売れる。これは当時、コミュニケーションの問題が最も重要視されていたからではないか。

 自分と他人がうまくつながることができない、という密かなコンプレックスは、翻って「僕」「私」視点の物語を欲する。

 社会ではなく、「僕」「私」の物語を、みんな読みたがっていた。

 それは労働市場において、学歴ではなくコミュニケーション能力が最も重視されるようになった流れと、一致していたのだ。

 しかしミリオンセラーが連発される一方、実は1世帯あたりの書籍購入金額は、1970年代末期と比べ1980年代には少なくなっていた。総務省統計局が毎年おこなっている家計調査(家計収支編)の結果によれば、「書籍」の購入金額は1979年(昭和54年)をピーク(1万4206円)として、80年代にはやや落ち込んでいたのである(1989年には1万818円)。

 つまり80年代、世帯単位では「書籍離れ」がたしかにはじまっていた。