美食=高級とは限らない。料理の背後にある歴史や文化、シェフのクリエイティビティを理解することで、食事はより美味しくなる! コスパや評判にとらわれることなく、料理といかに向き合うべきか? 本能的な「うまい」だけでいいのか? 人生をより豊かにする知的体験=美食と再定義する前代未聞の書籍『美食の教養』が刊行される。イェール大を経て、世界127カ国・地域を食べ歩く美食家の著者の思考と哲学が、食べ手、作り手の価値観を一新させる1冊だ。本稿では、同書の一部を特別に掲載する。

美食の教養Photo: Adobe Stock

日本は、世界一の美食大国なのか?

 アメリカの著名なフードジャーナリスト兼テレビパーソナリティ、アンソニー・ボーデインは、こんな言葉を残しています。

 「If I had to eat only in one city for the rest of my life, Tokyo would be it」
 (もし残りの人生をひとつの街でしか食べられないとしたら、東京を選ぶ)

 彼の言葉は、日本が美食の国として認識されていることを示していますが、日本は本当に世界一の美食大国なのでしょうか?

 まず、東京のレストランの数は、他の主要都市を大きく上回ります。パリと比べると、その数は3~4倍にもなるといわれます。ということは、東京のレストランがパリより劣っていないと仮定すると(逆に、劣っていると仮定する合理的理由はなさそうです)、一定水準を超える店の数も3~4倍あっておかしくない、ということを意味します。

 また、日本では東京だけでなく、京都や大阪、福岡など、各地に独自の食文化が存在します。スペインやイタリアほどではないものの、それ以外の美食先進国よりは、地域的多様性があるといえるかと思います。

日本の魚介は圧倒的!

 日本の美食を支えるもうひとつの柱が、その恵まれた自然環境です。日本は周囲を海に囲まれた島国であり、海岸線が長いため、魚介類が豊富です。また、国土が南北に長く、地域によって気候や生態系が異なるため、多様な食材が揃います。

 これらは、日本人にとっては当たり前のように聞こえるかもしれないので、逆の例を挙げてみたいと思います。南アフリカ共和国のケープタウンから車で2時間ほど行った西海岸には、「ヴォルフハット(Wolfgat)」という有名なレストランがあります。行ってみて驚いたのですが、海に面している街にもかかわらず、まともな漁港がない。ロブスターを密猟している輩はいましたが、レストランで使えるような魚介を入手しようとすると、200km以上離れたところから取り寄せざるを得ない。そして、質もかなり微妙でした。

 魚介類がおいしくなる条件のひとつとして、川の存在が挙げられます。山のミネラルや恵みが海に流れ込み、エサとなることで魚介類がおいしくなる。川のない乾燥した環境では、魚介類はおいしくなりません。海があるから自動的に魚介がおいしい、とはならないのです。

 スペインのガリシア地方にある魚介の名店「ディベルト(D'Berto)」のオーナーシェフが日本に来たときに、当時の築地市場に案内しました。市場に並ぶ新鮮な魚を見て、「地元で取れる魚種の質だったら負けないけど、生でこれほど多くの魚種が揃うなんて考えられない」と驚いていました。

 確かに、スペインの魚介は世界有数に素晴らしく、ヨーロッパの中では魚種は多い。ただ、日本のように、季節を問わずさまざまな魚種が揃う、というほどではありません。

 ロンドンで握っている頃の「ジ・アラキ(The Araki)」の荒木水都弘(みつひろ)さんと話したときも、地元の魚介は悪くないけれど種類が揃わない、とおっしゃっていました。せいぜい、8種類前後。そして、カウンターのみの小さな店なのに、海老がそれより少ない中途半端な数しか入らないこともある。だから、つまみと握りで同じ魚介を使わざるを得ない。

 それくらい、日本とそれ以外の国とでは差があります。