何かしらのルールを設定する場合も、学校や教師が一方的に従わせるというよりも、子どもたちと話し合って決めることも少なくない。

 なぜかというと、「ルール」(rule)には「ruler」(支配者)という言葉があるように、「人を権力で一律に支配する」といったネガティブなイメージがあるからだ。要するに、個人が自主的に従うものではなく、イヤイヤ従うのが「ルール」なので、子どもの教育にそぐわないという考え方もあるのだ。

 だが、日本の教育現場はまったく逆で、「ルール」は人がこの社会で生きていくためには必要不可欠なものとされる。だから、教育現場でもホームルーム、部活動、合唱コンクール、大縄跳び競争、運動会での人間ピラミッドなどで、「ルールに従うことの重要さ」を徹底的に叩き込む。その中でももっとも効果的に子どもたちにルールを破ることの恐ろしさを体でわからせるのが、「校則」だ。

「ブラック校則」「学校の謎ルール」などが話題になっているように、子ども側はルールに疑問を持つことは許されない。どんなに理不尽なルールを定められてしても素直に従う者が「いい子」とされて、ルールを破ったり、口答えをしたりする子どもは「問題児」として排除をされる。

子どもは優秀な「社畜」予備軍?
学校教育法に見るルールの呪縛

「ん? ちょっと前に似た話を聞いたな」と思う人も多いだろう。そう、日本の学校教育で行われていることは、ビジネスの効率性がない会社が社員たちに「謎ルール」を押しつけているのとまったく同じではないか。

 ここまで言えばおわかりだろう。日本企業が「ルールで縛る」という組織マネジメントに力を入れているのは、日本人がもの心がついた時から受けている学校教育がそうなっているからだ。

そう聞くと、「なぜ日本の学校教育は、そんなにルールを大事にするのか」と不思議に思う人もいるだろう。その答えはシンプルであり、そういうルールだからだ。学校教育法の「義務教育」の中にはちゃんとこう明記されている。

「学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第二十一条)