筆者も驚かされた
「一人相撲」の意外な語源

 相撲から来ている慣用句で、私が一番驚いたのが「一人相撲」の語源だった。これは一人で必死に動いて自滅する状態を、単に相撲に例えて言っているのだと思い込んでいた。ところが、「大相撲における宗教学的考察」という論文を準備している時、神事相撲から来ていると知った。

 年代は奈良・平安時代など諸説あるが、毎年、農作物が豊作か否かについて神のご託宣を受ける相撲が行われた。

 その相撲は、神を相手に人間が取る。神の姿は見えないので、傍からは人間が一人で必死に動いて、いわば相撲のパントマイムをやっているようにしか見えない。こうして三番取って、神が二勝一敗で勝つ。神の勝利によって、豊作がもたらされるとされた。

 一般に使われる「一人相撲」という言葉は、ここから来ていたのである。驚いた。

 相撲を語源とする言葉が、21世紀の今も慣用句として生きている。相撲がいかに長く日本人の暮らしとともにあったかがうかがえる。

「押しが強い」の他にも、「決まり手」や「技」「動き」などから出た慣用句が数多くある。「あごが上がる」もそうだ。私たちは「たまにランニングやったら、すぐあごが上がっちゃってさ。鍛え直さないと」などと言う。

 相撲は「あごを引く」ことが基本。だが、相手の攻めに耐えられないと、あごが上がって攻撃できなくなる。ここから「相手が手強くて自分が耐えられない状態」としての慣用句だ。

「懐が深い」もある。「上司が懐が深い人で、俺、ホントに救われた」などとよく使う。一般には「包容力がある」という意味だが、相撲の場合は、対戦相手から見て背が高く、腕が長い力士を指すことが多い。

 こういう力士は、対戦相手にとってマワシが遠くにあり、つかみにくい。寄りも投げも効きにくい。大鵬や貴乃花、白鵬など懐が深い力士は、相手がどう出て来ようが、余裕で動じない。その意味では「包容力」につながると言える。

「勇み足」「腰砕け」「肩すかし」
まだある相撲ルーツの言葉

「勇み足」も一般的だ。これは相撲の決まり手と見られがちだが、決まり手八十二手の中にはない。「非技」といって自分の一方的な動きで負ける際の判定である。「勇み足」は字の通り、勇んで勢いに乗ってしまい、自分の足が相手より先に土俵から出てしまう負け方だ。