1to1マーケティングの成れの果て…
1人に痛烈に刺さればよいという考え
現代マーケティング的には、世間に嫌われても、一部の人に深く刺すほうが正解だからだ。実際のところ、選挙制度、政治制度を目的外利用する人々は、これまでそのような振る舞いによって「利益を得てきてしまっている」のだ。
昭和の時代ならいざ知らず、もはや現代はみんなが同じビールを飲み、同じような背広を着て、同じドラマの話題をするような時代ではない。単一の製品・サービスをテレビなどで連呼する「マスマーケティング」はとうの昔に終わりを告げている。
ライフスタイルに応じた差別化をする「セグメント・マーケティング」ですらない。それぞれが異なる趣味嗜好をもち、企業はそれに対応していく「1to1マーケティング」が既に社会に浸透している。
八方美人な商いには限界が来ており、企業には個人のニーズへの細やかな対応が求められるようになっている。アプリも、クルマも、アイドルも、個別対応する時代である。
そんな時代においては、世間一般的には「倫理的に誤りである」とみなされたとしても、今の社会の何かに不満がある人に痛烈に刺さればよいのだ。その痛烈に刺さった一人から1億円を出してもらうほうが、1万人から1万円を出してもらうよりも、はるかに容易なのが現代社会なのである。
こうした社会の到来は、実は1960年代には予言されていた。
「悪名は無名に勝る」
何としても注目を集めたい人たち
経営学、行動経済学、さらにはAIの基礎理論にすら貢献した、ノーベル経済学賞受賞の経営学者ハーバート・サイモンは、人間の思考能力とその限界を研究していた。
サイモン氏の主要な研究成果の一つが、「人の合理的思考能力の限界」(限定された合理性:Bounded rationality)である。私たちが注意を向け、思考することができる対象はごくごく限られていることを指摘している。
サイモン氏は、情報過多となる将来の社会において、私たちの認知能力こそが最も希少な資源になり、価値を持つ時代になるだろうと予言した。これは後世において、「アテンション・エコノミー」と呼ばれる概念となる。アテンション、つまり私たちの注目や関心が、経済的な価値を持つのだという話である。
24時間のうち、自分の人生と直接的に無関係なことに意識を向ける時間はどれくらいあるだろうか。
SNSを見ている時間、まとめサイトを見ている時間、ニュースを見ている時間などを合わせても、20~30分ぐらいではないだろうか。
現代社会においては、この限られた人間のアテンション、認知能力を企業やさまざまな人々が奪い合っている。そのため、劇場型の演出や、あえて反倫理的なアクションを取ってでも、人々の注目を集めようとする者が出てくる。
この世に生まれた人間の大半は、見ず知らずの他者から関心を得ることはない。そんな中で、ニュースになるような行為を行うことで、ようやく人々のアテンションを得られる。悪名は無名に勝る。