公立中学で展開される
「社会の縮図」を知る大事さ

 早稲田大学を卒業し大手銀行に入社、その後退職し塾業界で起業という自分の経歴を振り返って思うのは、公立中学校にいた人々こそ「社会の縮図」になっていたなという点です。

 どういうことかというと、早稲田を出て大手銀行に入るような人は、みんな学生時代の内申点が高く、そこそこ名の知れた大学に通い、なんとなくサラリーマンになることが当然という価値観で生きているようですが、社会全体で見るとそのような価値観は1つの生き方でしかないということです。

 起業をしてみると、雇われが向いておらず事業主になったという人にもたくさん出会いましたし、塾で起業をするとなれば、顧客として「いい大学を出て、いい企業へ」というステレオタイプの価値感を持っている人だけでなく、「勉強が嫌いで、なんとか授業についていっている」人たちのことも当然視野に入れる必要があります。

 社会で生きていくにあたって、大学以降に出会った学力的に恵まれた人たちだけでなく、公立中学校時代の様子を体感としてリアルに思い出せるのは、自分の強みであると感じます。

 公立中学校出身者に話を聞くと、私のように「仕事をする上で公立中学校時代の経験が生きている」と言う人もいますし、仕事など関係ないプライベートな側面で、中学時代の友人との関係がかけがえのないものになっていると言う人もいます。

書影『中学受験はやめなさい 高校受験のすすめ』(実業之日本社)『中学受験はやめなさい 高校受験のすすめ』(実業之日本社)
じゅそうけん 著

 例えば私の友人のTさんは、早稲田大学を出た後、大手銀行を突然退職し、地元の中学校が同じで幼なじみでもある、中卒で働いている方とシェアハウスで暮らしています。Tさんは中卒で働いている友人の存在もあり、大手銀行で働くことは1つの選択肢でしかないと相対化され、やりたかったフリーランスの仕事に挑戦するなど、柔軟な人生を送れていると言っています。

 中高一貫の私立校を出て、難関大学に入って、大手企業で働くのが当然の環境で育ってしまうと、そのような価値観が固定化されてしまい、大手銀行のキャリアを大胆に変更するといったことに抵抗が出てしまうのではないでしょうか。

 中高一貫校で画一的な価値観を刷り込まれて迷いなく生きていくのもいいのかもしれませんが、私は公立中学校での経験を通して、世の中には「いい大学を出て、いい企業」だけではない、多様な生き方があるのだと体感として知っている人生の方が豊かなのではないかと感じています。