それは父だけの秘密で、母さえ知らない事実だった。

 そうか。

 すべてのことがつながり合点がいった。父は地獄を見てきたのだ。

 語るにはつらすぎることを心にしまいこみ、ただ特別のことのない平凡の中の幸せを伝えたかったのだろう。

「変わったことがない、というのは幸せなことなんだよ」

 父のそのときの声は今でも耳に残っている。

「どうせ私なんて」という
言葉にさよならしよう

 気持ちよく過ごすためにやめてほしい言葉がある。それは、「どうせ私なんて……」という科白(せりふ)。この言葉には毒がある。まず、相手に向かって「どうせ私なんかいなくたって平気なんでしょ」と言った場合、自分が悲劇の主人公モードに入ってしまう。

 この言葉の裏には、さみしさが隠されていて、相手に「そんなことないよ」と言ってほしいのだが、言われた方は嫌な気持ちがして、「いい加減にして」ということになってしまう。

 部屋に花を飾り、その花が枯れて花瓶がなくなったとき、部屋の中にぽっかり空洞ができたように感じる。ほんの数日、生活を共にしただけの花なのに、視線はもう無意識にその花を追っているのだ。花だってそうなのに、共に過ごした人が「いなくて平気」のわけがない。だから「どうせ私なんて……」と言わないでほしい。

書影『いい気分の作り方 困難な時代の心のサプリ』(毎日新聞出版)『いい気分の作り方 困難な時代の心のサプリ』(毎日新聞出版)
海原純子 著

 さて、もしあなたの知人や家族が「どうせ私なんて……」という言葉を発するなら、それは愛を確認したい、というサインなのだ。子供のころから自分が愛されているか不安を感じていたり、自分の存在に自信がないと、こうした言葉で相手に甘えてしまう。言われた方はいら立たずに、その人のさみしさに共感してほしい。

 一方、もし、あなたが自分に向かって「どうせ私なんて何の才能もないし、取りえがないわ」などとつぶやくと、それは自分にレッテルをはることになる。

 取りえがないとレッテルをはった途端、あなたのもつ可能性は全く見えなくなってしまう。同様に、「どうせそんなことやっても何にもならない」という言葉も、発した途端、これからしよう、と意気込んでいた思いがなえて、やる気がなくなってしまう。

「どうせ私なんて」という言葉に、さよならしたいものである。