しかも池そのものを温室にするハウス式温水養殖法を考案。それまで1年半から3年かかった養殖期間が、半年から1年半と短縮され、生産量を大幅に増やすことが可能になりました。

 1980年代になると台湾や中国からのうなぎの輸入が増えてきます。さらに1990年代に入ると、中国でヨーロッパウナギを養殖して日本へ輸出するようになりました。安価な養殖うなぎが大量に輸入されたことで、それまで高級品だったうなぎが、ふだん気軽に食べられるようになりました。

 一方で、大きな問題も起こります。理由は不明ながら、ヨーロッパウナギが急激に減ってしまったことで、絶滅の恐れのある野生動植物を守るためのワシントン条約の附属書に掲載され、2013年から貿易取引が制限されてしまったのです。

 また日本国内では、1960年代半ばまで100トン以上捕れていたシラスウナギが1971年以降は100トンまで減り、1990年には20トンを割り込みます。2013年、環境省はニホンウナギを、近い将来野生での絶滅の危険性が高い絶滅危惧IB類と認定。なんとうなぎがレッドリスト入りしてしまったのです。

 1990年代は、リーズナブルにうなぎが食べられるうなぎバブル時代から、真剣にうなぎの資源保護に取り組む時代へと、変化を遂げた転換期となりました。

長年の謎だったニホンウナギの
産卵地点を東大チームがついに発見

 うなぎは、古代から食されてきたにも関わらずいまだに謎の多い生物です。うなぎはどこで産卵するのか?この疑問に多くの生物学者が挑んできました。1922年、大西洋ウナギ(アメリカウナギとヨーロッパウナギの総称)は北大西洋のサルガッソー海が産卵場所とデンマークの海洋学者ヨハネス・シュミット博士がつきとめました。

 一方で、日本における本格的なうなぎ生態研究は、1973年に東京大学海洋研究所(現大気海洋研究所)が行ったニホンウナギの大規模な産卵場調査航海が始まりです。世界のうなぎ研究をリードするうなぎ博士・塚本勝巳東大名誉教授が大学院生としてうなぎ研究に参加したのもこの航海でした。