これはつまり、誰もが社会から「通信簿」を受け取っているようなもので、その成績を互いに牽制しながら、やきもきしているという話なのです。

 独立して成功していた仲間が事業に躓いたとき、素直に同情できなかった自分を嫌悪したこともあったかもしれません。

「妬みは魂の腐敗である」と言ったのはソクラテスですが、それがあるが故の人間でもあります。そして、その感情の源は「通信簿」があったからではないでしょうか。

 大事なことは、会社を退職して肩書きがなくなれば、もう通信簿は届かないということです。小学校時代から絶えることなく受け取り続けた通信簿が、ついに自分の人生と無縁になるのです。

書影『最強の60歳指南書』(祥伝社新書)『最強の60歳指南書』(祥伝社新書)
齋藤孝 著

 リタイアをしたらもう何もやりようがありません。やりようがないということは、やらなくていいということです。生涯初めて通信簿と無縁の人生が新たにスタートするわけです。

 そもそも勤め人としての通信簿は、勤務先の企業や出身大学のネームバリュー、年収の額など、さまざまな付加価値で大きく左右されたというのも事実です。しかしリタイアしたらもはや全員がフリー。「付加」されていたジャケットは?ぎ取られ、皆が同じ1人の個人です。過去の通信簿にまったく意味はないのです。

「いろいろあったけどもう終わり」と割り切れる年齢。そこをポジティブに捉えることが大事です。逆にいえば、退職すれば世間から持ち上げられていた自分のソーシャルパワーも消えるわけです。だからこそ次へのスタートを切らなればならない。これこそが60歳という人生の大きな節目ということができると思います。