音楽の専門コースはないのに
プロの音楽家たちを輩出した背景
宮城県北西部の大崎市(旧古川市)は、日本有数の穀倉地帯だ。その真ん中近くにある県立古川高校は、旧制第三中学を前身とする伝統校だ。創設以来男子校だったが、2005年に男女共学になった。
「仙台城(青葉城)」「杜の都」「広瀬川」など仙台の情景を織り込んだ「青葉城恋唄」は、日本の「ご当地ソング」の代表曲の一つに数えられるだろう。このメロディーを作曲し、歌ったシンガー・ソングライターのさとう宗幸(むねゆき=1949年生まれ)が、古川高校の出身だ。
高校ではマンドリンクラブに属し、東北学院大在籍中は仙台市内の歌声喫茶でギター片手に歌い、セミプロのフォーク歌手になった。78年に「青葉城恋唄」を作曲しメジャーデビュー、一気にミリオンセラーとなった。
これをきっかけに全国区の人気者となり、民放ドラマやNHK大河ドラマ、さらには映画にも出演、俳優としても活動した。00年あたりからは仙台のテレビ局に出演、ローカルタレントになっている。現在では「宮城のじいじ」「宗さん」などの愛称で呼ばれている。
古川高校には音楽の専門コースなどはなく、普通科だけの高校だが、音楽で才能を発揮した卒業生が、たくさん巣立っている。
55年卒の金沢茂は東京交響楽団で首席トロンボーン奏者として活躍した。後年、長野県県民文化会館長を務めた。古川高校から国立音楽大に進み、文化庁よりウィーンに派遣されウィーン国立音楽大に留学した。
相沢政宏は古川高校で金沢より21期後輩になるが、東京交響楽団の首席フルート奏者を務めた。東京音楽大卒だ。
相沢と同期だった成田博之は、国立音大大学院オペラコースを修了、バリトン歌手になった。
牛渡克之は、東京芸術大―スイス国立ベルン音楽大ソリストクラスで学んだ。日本を代表するユーフォニアム奏者になった。
大和田雅洋はサクソフォーン奏者だ。東京芸大音楽学部器楽科卒だ。洗足学園音楽大などで後進の育成に熱心に取り組んでいる。
伊藤圭も東京芸大音楽学部器楽科卒で、NHK交響楽団首席クラリネット奏者となった。
クラリネット奏者ということでは、伊藤より古川高校で7期後輩の芳賀史徳(ふみのり)は、日本フィルハーモニー交響楽団副首席クラリネット奏者を経て、現在は読売日本交響楽団クラリネット奏者だ。東京芸大卒。
本田勇介はクラシック音楽のピアニストだ。武蔵野音楽大卒だ。
佐藤直幸はテノール歌手で、東京芸大音楽学部声楽科卒だ。青木麻菜美はソプラノ歌手で、米国・イタリアなどで活躍している。尚美学園大芸術情報学部音楽表現学科首席卒業だ。
以上のようなプロの音楽家を多数、輩出した背景として、古川高校の音楽科教諭・友川廣人の存在を見逃せない。広川は64~88年の長きにわたって同校教諭を務め、吹奏楽や合唱団を指導、生徒の間で音楽家志望熱が高まった。