突撃訓練のため飛行場に行く。しかし悪天候のため演習せず、休憩所に待機す。
町また村の人の赤誠(せきせい)のある贈りものと慰問にて大高笑や腹ぶくぶくにて下痢を起こす次第なり。
午后○○時、明日出撃せよとの有難き命令を受く。只(ただ)感慨無量。
一撃轟沈を期すのみなり。
慰問者絶えず延べ数百人を数う。
最后の秋ときを朗らかに歌い別れの
ここで、荒木幸雄伍長の修養録の記述はとぎれています。永遠に書き継がれることなく――。
(時間がなかったのか、感きわまったのか。その時の心境を想うと胸がつまる)
兄の精一さんは修養録を書き写し、そう書き添えられています。
万世基地での最後の夜
第七十二振武隊は、教育飛行隊(のち錬成飛行隊)の中隊長と教官とその教え子たちで編成された特攻隊でした。いわゆる「師弟部隊」です。そのため、隊長佐藤睦男中尉の温厚な人柄もあってまとまりがよく、和気藹々で団結心がつよかったといわれています。
夜更けて、荒木伍長は、はがき2枚をしたためています。
桐生の家族へ宛てた最後の便りと、目達原の西往寺へ世話になった礼を述べたものです。
そのあと、彼は寝つけなかったのか――。彼は丸刈りの頭に手をやって、髪を切りとり、白紙に包んで角封筒に収めました。遺髪とするためです。特攻戦死者は、遺族へとどけられる遺骨がありません。
次に、彼は左腕の第七十二振武隊のマークをちぎりとりました。
時計の針は、午前零時をまわっています。
人生最後の日、27日をむかえました。