電車の中での化粧は度々話題になる。年配者は「みっともない」と言いがちだが、若い世代は「別によくない?」と受け止め方はそれぞれだ。1990年代からあったという電車の化粧問題は、時代ごとにどのような受け止め方をされたのだろうか。本稿は、田中大介著『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社新書)を一部抜粋・編集したものです。
化粧問題という世代・性別の対立
人前での化粧はみっともない?
世代・性別のあいだの規範のズレの問題がもっとも尖鋭化したのは、1990年代以降、盛んに論じられた「化粧問題」だろう。ただし、戦前から公共の場における化粧はみっともないものとして語られている(大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』新評論、2013年:36―37頁)。たしかに「(交通)道徳」という建前からすると、維持すべき体面や表示すべき礼儀が十分に整えられていない「非礼」にあたるだろう。
また、作家のパオロ・マッツァリーノによれば、電車内で化粧をする女性の目撃情報が増えたのは80年代末からであり、座って化粧ができるくらいに電車が空いてきたからである、という(パオロ・マッツァリーノ『サラリーマン生態100年史』角川新書、2020年:129―130頁)。戦後においても、公的な場における優美さの表現であった「エチケット」の視点から考えれば、「美」を作っている前や途上にある化粧は人目につかない場で行われるべきことだろう。
1970年以前に強調された交通道徳の女性観やエチケットの騎士道には、「男らしさ/女らしさ」の旧来的なジェンダー観が含まれている。そのため、交通道徳の礼節やエチケットの美学は、女性に「慎み」や「美」を求める部分がある。したがって、旧来的なジェンダー意識を含む「交通道徳」や「エチケット」を前提とする年長世代にとっての化粧は、男性から見えないところでやるべき女性のシャドウワークであり、人前でのそれは「みっともない行為」といえよう。
電車内の化粧に対して年配男性以上に嫌悪を示したのは年配女性であるとするアンケートを掲載している記事もある。しかし、1990年代以降、女性にとっての化粧は、欠点を覆うというよりも、自己主張や自己表現になってきたという指摘もある(米澤泉『電車の中で化粧する女たち』ベスト新書、2005年)。そう考えれば、電車のなかの化粧は、化粧観の世代的・年代的な変化の途上で問題化されてきたといえるだろう。
2000年代以降で変わる論調
3割以上が「気にしない」
実際、2000年代以降になると、論調が変わりはじめている。たとえば、「定着しつつある車内化粧」(『新・調査情報』2006年11/12月号)という記事では、若い世代ほど車内化粧を気にしなくなっているという調査結果を紹介している。