また、『AERA』(2004年12月6日号)の「電車の中で女性のお化粧、あなたは?」という記事では3割以上が「いいんじゃない」と「何とも思わない」と回答している。そもそも、このように「許されるのか、許されないのか」が問いになっている時点で、電車内の化粧が意見の分かれるふるまいであることがわかる。

『女性セブン』(2003年11月20日号)の記事では、電車内で化粧をする学生のうち93・4%が「時間がない」という理由を挙げている。そして、法律を犯しているわけでもないからこそ意見も分かれており、同調の意見もあるという。

 粉が飛ぶ、匂いがきついなどのことがあれば、マナーを逸脱している。しかし、そうでなければ他の人に迷惑をかけているわけではなく、マナーの範囲内と主張されることもある。そのような視点からすれば、化粧をどこで、どのようにするか、しないかといったことをことさら問題にすることは「女性らしさ」の押しつけになる。社会進出し、忙しい女性にとっては、車内の化粧がやむをえないこともあるだろう。

ゆらぐマナーの基準
電車内で許されるのはどこまで?

 このような電車のマナーに関する意見の分裂は、化粧問題に限らない。記事になる時点で、多様な行為が問題化されてはいるのだが、焦点はむしろマナーの基準がゆらいで、わからなくなった、ということにある。たとえば、2000年頃から、どこからどこまでがマナー違反かについてのアンケート調査をもとにした記事が増えている。

 たとえば『オリーブ』(1999年7月3日号)「気になるグッドマナーvs.バッドマナーあなたはどっち?」、『サイゾー』(2005年12月号)「暗黙の了解、ハッキリさせてよ!電車内での〇〇ってどこまで許される?」などである。

 アンケート形式の記事の定着は、マナーの内容・評価が分散して、どこからどこまでが許容されるのかがわからないという不安・不満の表現でもある。たとえば『サイゾー』の記事においては、アンケートは「民主主義的ジャッジメント」であると述べられており、知識人・文化人が規範の内容を決定し、上から「啓蒙」することが難しくなっていることがわかる。

 そのため、読者はアンケート結果を通じて、「ほかの人はどう思っているのか?」を気にしながら、横並びになってマナーの「あり/なし」をそのつど判断しなければならなくなる。