「日本の国土は肥沃でもなく、農産物も豊かには実りません。掘っても何も出ず、特産物もさほどありません。わざわざお金を注ぎ込んで、攻める必要はないでしょう。兵を出して征服したところで、何もいいことはありませんから、日本との戦争はおやめください」

 当時の日本は、趙良弼(ちょうりょうひつ)が記しているように、目立った特産物のない土地でした。平清盛がよく日宋貿易を成り立たせていたなと感心してしまうほど、輸出品は貧相なものばかりです。清盛の頃はまだ平泉の金がありましたから、これを輸出品にする手もあったかもしれません。しかし、元寇の頃には、金はおおかた掘り尽くしてしまった後だったのです。ですから、趙良弼のレポートは正確だったと言えるでしょう。

 また、フビライは「硫黄」を求めて日本を征服しようとした、というような説もあります。当時、モンゴルでは火薬製造に取り掛かっており、そのためには硫黄と木炭、硝石が必要でした。モンゴルには硫黄がなく、これを手に入れるために日本を征服しようとしたというのです。

 確かにモンゴル軍は火薬を武器として活用しましたが、当時、他国を攻めてまで欲しがっていたかどうか、疑問は残ります。歴史的にはまだ100年、200年早いのではないでしょうか。

 趙良弼のレポートを見ると、ますますフビライは日本を侵略するつもりがなかったのだと思います。

 日本を侵略する意思はなく、あくまでも丁寧な文章で国書を送ってきたモンゴルに対して、日本側はどのように対処したのでしょうか。

 先ほど、朝廷では返書の草稿がつくられたと述べましたが、この草稿は残っています。

 これを読むと、「日本は神の国である」というお決まりの文章から始まり、「あなたの国は日本がいかに偉大かわかっていないのではないか」というような、非常に上から目線、夜郎自大な内容なのです。

 当時の日本人は、あまりに国際感覚を失っていたと言わざるを得ません。遣隋使・遣唐使を派していた頃に培われたような国際意識のようなものは、とうの昔に綺麗さっぱりなくなっていたのです。