古本屋の店主を全否定する「絶対に口にしてはいけない言葉」とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

古本屋にて気軽に本の値引きをねだる人がいるが、実はこれはやってはいけない作法である。というのも、古本屋の値付けというのは店主の深い経験からくる鑑識眼と明日の生活がかかっている、いわばレーゾンデートル(存在意義)なのだ。本稿は、岡崎武志『古本大全』(筑摩書房、ちくま文庫)の一部を抜粋・編集したものです。

古本屋の値付けには
深い理由がある

 学生時代、京都の某古本屋で、前から欲しかった『映画事典』を発見。ところが定価から3割くらいしか値を引いていない。定価は2000円以上したから、貧乏学生だった当時としてはなかなか痛い額だった。

 それで、めったにやらないことだが(というか、ほとんど初めて)店主に、「これ、いくらかまけてもらえませんか」と言ったのだ。そのときの店主の対応がよかった。結果として値は引いてくれなかったのだが、手渡した本と店の売価を見ながらこう言ったのだ。

「うーん、そんなこと言わんと、この値段で買おときなはれ。こんなもんでっせ。ええ本や。100円、200円引いても本がかわいそうでっせ」

 そのときは、妙に納得して、その値段で買った。以後、こちらから「まけてくれ」とは一度も言ったことがない。

 世の中には同じような話があるものだと思ったのは、植村達男さんの随筆集『本のある風景』(勁草出版サービスセンター・1978年)を読んだときのこと。「京都の古本屋」というタイトルの一文に、こんなことが書かれてあった。

「京都の街のどの辺であったか記憶は定かではないが」と前置きして、ある古本屋の棚にオーストラリアの原住民の研究書があるのを見つけた。神戸大学経済学部の学生だった植村さんは、自分の卒論のテーマ「オーストラリアの植民史」の参考書として「紙質も粗悪なまことに見すぼらしい」この本を求めることにする。

 あまりに粗末な風体であることと、内容が全くポピュラーなものでないことから、私は代金を払う前にこう言った。

「こんな本、置いといても買う人はおらんのちゃうか、もちょっと勉強(注/値引き)してくれへんか?」

 すると、古本屋の親父は無表情な顔を向けてやんわりと言った。「何ゆうてはりまんねん。あんさんみたいな人がちゃんと買うてくれまっさ」。この言葉に私はあまりに感心してしまい、二の句がつげず、黙って100円5枚(であったと思う)を差し出した。

 よく言われることだが、新刊書店と違って、古本屋に並ぶ本はすべて店主の蔵書かつ財産で、その値付けには、深い経験からくる鑑識眼と明日の生活がかかっている。いわば、レーゾンデートルである。

 それを「高い」と口に出して言うのは(思うのは勝手だから、私もしょっちゅう思う)、店主を否定することでもある。どうしても欲しい本が見つかって、そのときちょうど持ち合わせがない場合でも、少しだけ前金を置いて取り置きしてもらって、また後日、残金と本を取りに行けばいいだけのことだ。