だから生活の結びつきが増せば増すほど、性生活を心配する理由が増える。パートナーとの間にうずくような感覚を抱くには距離が必要だからだ。一定の距離とシナプスのような接合部。火には酸素が必要なのと同じように、パートナーシップにもある程度の緊張感と不確定要素が必要なのだ。
パートナーシップと
エロティシズムは相反する
こんな風に人はパートナーをわかりやすい存在へ引きおろそうと努力するのだが、それはパートナーの謎を否定することを意味する。どうやら予期しない驚きの方が予測可能性よりも満足感を与えてくれるようだ。欲望にはある程度の不確定要素、疎外感、不安、謎が必要で、もしかすると危険さえ必要かもしれない。
精神分析学者のマイケル・ベイダーは『性的興奮』でさらなる次元を紹介している。彼によれば、親密さが増すと相手の幸福への関心が高まる。この関心には相手を傷つけてしまうのではないかという心配も含まれる。
同時に、性的に興奮するためには、相手への心配を断ち切り、自分自身のために快楽を追求する必要がある。つまり、欲望にはある程度の利己主義が必要なのだ。性的な領域では、自分の欲求に集中し、生き生きと、自発的に、不安から解放される必要がある。
同時に、欲望が燃え上がるためには、お互いが独立した個人である必要があると彼は言う。一方がもう一方に依存していると欲望を抑制してしまう。理解ある思慮深さを手放し、密接な距離から一定の距離へと離れることが性的な場面では必要なのだ。
そうすることで、欲望を呼び起こす余白が生まれる。セックスに必要なのは調和のとれたパートナーシップの構成要素である思いやり、理解や仲間意識ではない。エロティシズムは利己的な欲望、おそらくは力関係、客体化、根源的な欲求によってもたらされる。強い性的欲望は親密さとは異なる道を歩むのだ。