こうした安全への欲求は生産的であり、度々私たちの命を救ってきたのだ。過去の経験から学ばないのは極めて非効率的だ。口に入れる前に、皿に盛られた米粒1つ1つを観察し、点検しなければならないとしたら、1日24時間のうちかなりの時間が何を食べるかを判断するのに費やされることになる。通勤や通学にどのルートを使うかも同じだろう。
代わりに、人は過去の経験から学び、時間をより効率的に使う。こうした回路は安全で安心なもので構築されている。この世をうまく切り抜ける方法はすでにわかっていて、おかげで多くの時間が節約できる。
出会う人々も同じだ。私の著書に「単純接触効果」という現象について書いたことがある。ピッツバーグ大学のモレランド教授の研究によると、被験者は面識のない人物でも見る回数が増えれば増えるほどその人物に好印象を持つようになり、より魅力的だと思うようになることがわかった。
何百もの実験が、接触が増えれば好感度が増すことを示している。人物でも飲み物でも文章でもそうだ。馴染みのあるものは金色の輝きを帯びて認識される。親しみのあるものに似ているものも好きになる。
これは裏を返せば、馴染みのあるものは欲望にあまり良くない影響を及ぼすということだ。時間を経るほどますます家庭的で安心感が増す予測可能なパートナーは、以前と同じ程度には欲望を刺激しなくなる。欲望と安全が衝突するからだ。人は安心感と予測可能性を求めるが、しばらくして落ち着くと欲望はあまり燃え上がらなくなる。誰と暮らすかはほとんど問題ではない。
人は実際には矛盾する2つを求めているのだ。安全への欲求は相手との距離をなくしたいと思っている。不確実なことは知りたくない。しかし、エロティシズムは未知のもの、つまり不安にもさせるもので突き動かされる。