簡単なようだが、それぞれ既得権があり役所の壁もあって、容易に改革ができないのだが、それを菅はシナリオを考えて実行していく。長く永田町を見てきたが、菅のようなタイプは非常に少ない。

 課題の大きさに大小はあるが、菅のように、国民のニーズを汲み上げてそれに対応するアプローチをもっとトライすべきではないか。

 国家の政権構想としては、マクロ的な3政策(金融政策、公共投資、産業政策)を掲げながら、一方でショートレンジの政策メニューを組み合わせていくのがベストではないかと考えている。

「経済戦略」がないからこそ
「失われた30年」を招いた

 次代を担う政治家たち、官僚のみなさんにお願いしたいのは、まずは現状分析をきちんとやってほしいということだ。岸田政権が打ち出した「新しい資本主義」のように、キャッチフレーズ先行で、あとから中身を詰めるようなやり方は間違っている。

 現状を徹底的に分析してこそ、自ずと次の道、採るべき政策が見えてくるのではないか。そして、実現すべきと決めたら、霞が関を動かし、国会審議のスケジュールに乗せる(「政治とはスケジュールである」と喝破したのは、政治評論家の後藤謙次である)。それを一気通貫させてこそ、政策が前に進んでいくと思う。

 この30年を振り返って痛感するのは、この国に大枠の「経済戦略」がないことである。戦略がないからこそ「失われた30年」を招いた。それは数十兆円単位で富が失われてきたことに他ならない。あるいはもっと大きな国益を失っているのかもしれない。かつて国家戦略がなく世界の40カ国以上と戦って敗れた太平洋戦争と同様、この国は依然として大戦略を立てることが不得手のようだ。

岸田政権の経済政策「実は画期的」なのに評価されない理由『文藝春秋と政権構想』(鈴木洋嗣、講談社)

 ならば、戦略をもつ政治家を選んでほしい。そうした人物に政権を担ってもらいたい。そのためのサポートとして、官邸に「経済戦略センター」といった組織をつくり、しかるべき報酬を払って優秀な人材を集めて戦略を練るべきではないか。政権が交代するたびに、場当たり的な経済政策が出てくるのは不幸の連鎖である。たとえば、アベノミクスの8年弱を検証するなど、中長期的なビジョンをチェックしていく組織があれば、政策の継続性はかなり違ってくるのではないか。もっと手っ取り早く官邸スタッフに「経済担当補佐官」を常設するのも一案である。

 これからの時代は、継続性のある「経済戦略」の担い手が求められている。それには霞が関はもちろん、民間からもポリティカルアポインティ(政治任用)で人材を登用する。何よりトップである総理大臣に、「経済戦略」の重要性を理解する器が必要なのだが……。