核兵器のイメージ写真はイメージです Photo:PIXTA

現在、核兵器を使用する権限を持つのは各国の政治指導者で、アメリカでは議会の承認なしに大統領の一存で核ボタンを押すことができてしまう。過去にはシステムの誤作動で核攻撃警報が作動し、あわや核戦争へと発展しそうになったケースもある。核報復は核抑止のために必要な行動であると同時に、全員を滅ぼす究極の愚かな決断でもある。こんな矛盾を常に抱える「核」問題を見つめ直す。※本稿は、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスター、豊島晋作『日本人にどうしても伝えたい 教養としての国際政治 戦争というリスクを見通す力をつける』(KADOKAWA)の一部を抜粋・編集したものです。

アメリカと旧ソ連との
偶発的な核戦争を防いだ軍人

 ソ連には、システムの誤作動による偶発的な核戦争を防いだ軍人がいます。ソ連空軍のスタニスラウ・ペトロフ中佐で、彼が1983年にモスクワ郊外の防空司令部で勤務しているとき、アメリカから核ミサイルが発射されたとの警報が司令部に鳴り響きます。

 数週間前、ソ連空軍は民間機の大韓航空機を自国領空で撃墜していて、米ソにはかつてない緊張が高まっていました。

 ペトロフ中佐としては、アメリカが核ミサイルを発射した以上、クレムリンの共産党首脳部に連絡し、報復の核ミサイルを打つ指示を出さなければなりません。

 しかし、ペトロフは、システムが誤作動した可能性があるとして、規則を逸脱して共産党首脳部には報告しませんでした。報告すれば報復の核攻撃の指示が出ていた可能性がありましたが、実際はペトロフが予期した通り、システムの誤作動でした。これにより、ソ連が誤認によって核戦争を引き起こす事態は避けられたのです。

 ペトロフの果たした役割をめぐっては諸説あるようですが、誤認による核戦争が阻止された事例と見なされています。

 システムの誤作動で核戦争を引き起こしかねない事態に陥ったのは、ソ連だけではありません。アメリカも同じです。上述した危機のほぼ4年前にあたる1979年11月9日、アメリカで「午前3時の電話」という恐怖の出来事があったことが知られています。

 9日の午前3時、アメリカのカーター政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官を務めていたズビグニュー・ブレジンスキーは自宅のベッドで寝ていました。その彼のもとに突然、NORAD(北米防空司令部)から緊急連絡が入ります。

 250発のソ連の核ミサイルがアメリカに向け発射され、本土への着弾が差し迫っているという連絡でした。ブレジンスキーが念のため確認を命じたところ、発射されたミサイルは2000発以上だという、さらに悪い情報が入ってきます。

 ブレジンスキーは大統領に全面核報復を促す電話をしようとします。ただ、その際には、まず妻を起こさないように注意したといいます。あと30分もたてば、首都ワシントンも核爆発で一瞬にして消え去り、世界は滅ぶことが分かっていたため、妻には寝たまま苦しまずに人生を終えてほしかったからです。