「報復の核攻撃」という政治決断が
象徴する核をめぐる論理の難しさ

 こうした核発射が個人に依存する意思決定のシステムも、偶発的な核戦争のリスク要因の1つであり続けています。

 なおアメリカでは2017年、一部の精神科医らのグループが、当時から事実と異なる発言を繰り返していたドナルド・トランプ大統領はサイコパス傾向など複数の精神的な問題を抱えており、核ミサイルの発射権限を持っているのは危険だと警告する本を出版しています。

 戦闘機のパイロットなどを含め、アメリカ軍の関係者には精神的・身体的な健康状態について厳しい審査が義務付けられていますが、軍の最高司令官であるアメリカ大統領にはそうした義務はありません。そのため、政治から独立した精神科医や臨床心理士らが、大統領を年に1回診察して、職責を全うできるか検査すべきだとの提言もこの本の中で出されています。

 これまで見てきた通り、アメリカ合衆国大統領は、ロシアや中国から先制核攻撃を受けた場合、あるいは受けていることが明確になった場合、報復の核攻撃を即座に決断することになっています。

「核のボタン」を押すという決定が大統領など1人の人間に帰属しているのと同様に、この報復核攻撃を行うという決断に、何とも言えない違和感を感じる人もいるでしょう。それは、核攻撃を受けた方が、先に攻撃した方を道連れにして敵味方の国民あるいは人類の大部分を死滅させる道だからです。

 報復の核攻撃を実行する理由は何なのでしょうか。敵の愚かな決断に罰を与えるため、敵の世界支配を防ぐため、同盟国を守るためでしょうか。報復すれば世界が滅ぶのであれば、馬鹿馬鹿しい理由にも思えてきますが、これが“現実的な政治決断”となっています。

 もちろん報復の核攻撃は、核抑止を機能させるという意味では必要な行動です。しかし、“必要な行動”が同時に全員を滅ぼす“究極的に愚かな決断”でもあることが、核をめぐる論理の難しさ、あるいは大きな矛盾を象徴しています。