また、原作では青春群像劇の趣きもあり、そうした他者との関わりの中で八虎が自分を見出していく過程があったが、映画では周囲の人物の掘り下げがほとんどない。代わりに、友人の龍二が掘り下げられ、八虎にとっての「他者」の役割を果たしていて、これも十分に感じた。

 アニメと映画では、実は脚本が同じ吉田玲子さんで、実力派のベテランさんだからツボをしっかり押さえてくれている。アニメと映画で扱われている原作の範囲は共に「芸大受験まで」だから、アニメと映画でピックアップされているシーンは必然的に重複がある。しかし実写になった映画にだけ認められる要素があった。

 実写版には泥臭い迫力が備わっていたのである。原作とアニメは絵柄がわりとポップで読みやすく、サラッとした手触りだが、映画は八虎の自室が年季の入った風情だったりして、画面全体が暗めで、重厚である。また、絵の制作時に傍らに置かれている大量の画材道具やその部屋の白い壁のひび割れ具合なんかは、生々しい空気感があり、絵を描く現場の殺伐が伝わってきて、その空気の中から数多の作品が生み出されてきたのだと思うと感慨深く思われる。

「自己肯定感」が持てるかも?
心を震わせたい人が見るべき理由

 八虎がキャンバスに向かって筆を振るうシーンはテンポが良く、アニメに通じるものがあったが、実写には前述の通り重厚さがあって、八虎の情熱がキャンバスにそのまま叩きつけられているかのような迫力があった。

 ただ、途中八虎の一筆ごとにそこから火花が飛び散るSFXがあって、個人的にはそこが少しやりすぎな気がした(そこに至るまで、そうまでしなくても十分見ごたえがあったため)が、原作では抽象的な火花が散っているシーンだったし、アニメでも派手に火花が散っていたから、ここはもう『ブルーピリオド』映像化におけるある種のお約束のようなものになっているのかもしれない。

 ともあれ、実写ならではの表現を、映画版は高い次元で達成していたように思う。

 映画『ブルーピリオド』は観る人の情熱を揺さぶる、最強の自己肯定の物語であった。心を震わせたい人にぜひ鑑賞を勧めたい。