鬱屈した日々を打開した「大戦の開戦」

 その後、ヒトラーはミュンヘンに移住して再び画家や建築家を目指すが、そこでもぱっとしなかった。妹に対し、夢の挫折についてこんな風に語っている。

「画家になりそこなったのは美術業界がユダヤ人の手に握られていたからだと信じている」

 そんな鬱屈した日々は、意外な方向から打開される。1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。ヒトラーはオーストリア国籍のまま、バイエルン軍に志願し、25歳のときに入隊が認められた。

戦地で初めての成功体験

 戦地でヒトラーは伝令兵として、連隊指揮官からの命令を、前線にいる大隊指揮官に届けるという役割を担った。

 このときのヒトラーの働きぶりは、『わが闘争』やナチ党の宣伝により、オーバーに伝えられることになる。

 そのため、実際にどこまで危険な任務だったのかは判然としないが、功績を残したのは確からしい。28歳のときに「第一級鉄十字勲章」を授与されている。挫折だらけだったこれまでの青春時代を思えば、他人から認められた喜びは格別だったに違いない。

 その後、ヒトラーは、戦場で撒き散らされた毒ガスによって失明し(ヒステリーが失明の原因とする説もある)、野戦病院で終戦を迎える。後に視力は回復。無事に見えるようになったヒトラーの目に映っていたのは、政治家への道だった。

ようやく居場所を見つけたヒトラー

 第一次世界大戦にドイツが敗北すると、ヒトラーは1919年、30歳のときにドイツ労働者党という小さな政党に入る。この党こそが、後の「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の前身であった。画家としては受け皿がなかったヒトラーだが、その演説力が高く評価され、政治家として社会に受け入れられることになる。

 ドイツの心理学者シュテファニー・シュタールは、こんなことを言っている。

 <「内なる子ども」は、子ども時代に満たされなかった「守ってもらいたい」「認めてもらいたい」といった願望を、大人になってから満たそうとするようになります>

 入党からわずか2年、そこにはナチ党党首として、ユダヤ人排斥を力説するヒトラーの姿があった。

【参考文献】
アドルフ・ヒトラー著、平野一郎訳、将積茂訳『わが闘争(上・下)』(角川文庫)
芝健介著『ヒトラー 虚像の独裁者』(岩波新書)
ジョン・トーランド著、永井淳訳『アドルフ・ヒトラー1 ある精神の形成』(集英社文庫)
ヴェルナー・マーザー著、黒川剛訳『人間としてのヒトラー』(サイマル出版会)
阿部良男著『ヒトラー全記録 20645日の軌跡』(柏書房)
ゲルハルト・プラウゼ著、丸山匠訳、加藤慶二訳『天才の通信簿』(講談社文庫)
シュテファニー・シュタール著、繁田香織訳『「本当の自分」がわかる心理学 すべての悩みを解決する鍵は自分の中にある』(大和書房)

(本原稿は、『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』に関連した書き下ろしです)