全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
数多くいる歴史人物のなかで、農民から身を起こし中国統一を果たしたのが、劉邦だ。武勇に劣り、才気もない劉邦が、なぜライバルの項羽に打ち勝ち、漢王朝の初代皇帝となることができたのか。劉邦のマネジメントから、部下を育てるリーダーシップの秘訣を読み解く。(文:著述家 真山知幸、ダイヤモンド社書籍編集局)。

『キングダム』の始皇帝が中国を統一した後の歴史の勝者…「ダメ人間」劉邦がそれでも漢王朝の「皇帝」になれた理由とは?Photo: Adobe Stock

中国統一のあと秦はどうなったか?

 中国史において春秋戦国時代は、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へと移したことで始まる。それから実に500年にもおよぶ戦乱を経て、紀元前221年に秦が中国統一を果たす。

 これでようやく平和が訪れる……そんなふうに民衆がほっとしたのも束の間、秦の始皇帝は、中国最大級の古墳である驪山陵(りざんりょう)や、巨大な宮殿の阿房宮(あぼうきゅう)、そして北方の匈奴に備えた万里の長城の建設に着手。相次ぐ大規模工事によって民は疲弊し、秦への不満がやがて爆発することになる。

天下をとるべく台頭した項羽

 始皇帝が崩御した翌年の紀元前209年、陳勝と呉広が史上初の農民反乱を起こす。

 再び世が乱れることになったが、かつての春秋戦国時代とは様相が違った。春秋戦国時代では「どの国が天下をとるか」の戦いだった。それに対して、秦が全土を統一したあとの戦乱では「誰が天下をとるか」の戦いへと突入することとなる。

 反乱を起こした陳勝が倒れると、楚の貴族である項梁が台頭するも、依然として大軍を誇る奏の前に敗れ去る。勢いづいた奏は、趙王が籠城する鉅鹿城を取り囲んだ。「鉅鹿を救うべし」と各地で軍が隆起するが、丘の上から戦場を静観する軍ばかりだったという。それだけ秦はいまだ大国で、強大だったのだ。

 そんななか、彗星のごとく現れたのが、楚の項羽である。

中国を再び統一したのは「才のない劉邦」

 項羽は、わずかな軍を率いて大軍の奏に挑むと、獅子奮迅の活躍をして、敵軍を総崩れにさせた。その見事な戦いぶりを見て、多くの軍が項羽のもとに集まってきたのも、当然のことだろう。項羽は秦打倒を目指す連合軍の総司令官となった。

 有能なリーダーを絵に描いたような項羽こそが、次の覇権を握るはず。誰もがそう予見したに違いない。だが、実際はそうならなかった。

 秦の末期での動乱を最終的に制して、漢を成立させたのは、劉邦である。劉邦が項羽を上回る優秀な人物だったからだろうか。いや、そうではない。むしろ、劉邦は武勇に劣り、突出した才能も持っていなかった。

 なぜ、そんな劉邦が項羽に勝ち、漢帝国を築くことができたのだろうか。それは、劉邦の人材マネジメントに起因している。