「日本ならでは」な
子供騙しの市場

 ゆえに誰もかれもが「ブルーハーツみたいになりたくて」真似をした。しかし誰も「真似をしている」とは認識したくなかったせいで捏造されたジャンル名のようなものが、つまりは「ビートパンク」の正体だった。そしてすなわち、これこそがインディーズおよびバンド・ブーム・バブルを最終的に膨らませられるだけ膨らませたものの正体でもあった。

ブルーハーツになりたくて…80年代「一大バンドブーム」、短命で終わったワケが残念すぎた『教養としてのパンク・ロック』川崎 大助(著)光文社

 実体などない、虚妄にも近い「ジャンル」に若者は群がっていったのだ。そして雑誌やTVに囃し立てられては、自治体が「路上演奏してもいいよ」と差し出してくれた場所などを舞台に、我も我もと参加しては、演奏したり、演奏者を応援したりする。

 つまりそこには「マーケット」が生まれた。参加者が往々にして買い手も兼ねる奇妙なその市場は、もちろん「日本ならでは」の各種の規制や利権構造の上に、まさに砂上の楼閣として築き上げられた、かりそめのものでしかなかった。かげろうのようにはかなく、誰も見たこともないほど奇矯にしてにぎやかな「子供騙しの市場」でしかなかった。

 だからこのバンドブームは、すぐに終わった。「イカ天」の終了と同時ぐらいのタイミングだったか。日本らしく、見事にあとくされなく、「なにごともなかったかのように」パンク・ロックに似たバンドのブームは、その一切合切が消えてなくなってしまう。