明治以来、立身出世や華やかな文化につながる「上京」という行為が多くの若者を熱狂させたことはよく指摘されている。鈴木にせよ、都会のほうがベターだと思っていることは間違いない。だがそれにしても、東京にたくさんある私大は、あくまで次善以下の進路としてしか認識されていないのであった。
慶應に行くのを止めようとする
国立至上主義の教師
鈴木の投書は、私大関係者を強く刺激した。最初に反応したのは、福澤諭吉を創設者と仰ぐ慶應義塾大学の学生、松村金助である。昭和期に日本・満洲・南洋経済ブロックを提唱する経済記者の松村金助と同一人物と思われる。青森中学を卒業した松村は、鈴木と似た発想を持つ各地の中学校長が進路指導をゆがめ、官立崇拝を助長している現状を告発した。
青森中学時代、校長に呼び出されて受験校を尋ねられた松村は、慶應の理財科(現・経済学部)を志望していることを伝えた。すると校長は、青森中学が官立学校進学実績で東北3位、全国19位の地位にあり、成績良好の松村は官立高等商業学校である小樽高商(現・小樽商科大学)に無試験入学できるので、是非そうすべきと諭した。つまり慶應に進学するのを阻止しようとしたのである。