松村はこの言葉を聞き、長年尊敬していた校長が自分の栄誉のために進学実績を気にする「利己主義者」だったことに気づいた。「恐らく大多数の中学校長は彼の如くなるべし」と松村はいう。松村は、教授や教育内容で慶應を選んだ。だが、「官立」至上主義に冒された中学教師からすればそんなことはどうでもよく、「官立」進学実績だけが問題なのである。

 こういった現象は、現代の地方公立進学校の進路指導でもよく指摘される。やや古い話だが、1990年代初頭、東北地方のある進学校の文系クラスでは「東大がダメなら東北大の法学部、法学部がダメなら経済学部、次に文学部、教育学部、それもダメなら新潟大の法学部、経済学部、人文学部……」といった具合に、どの大学でなにを学ぶかをほぼ度外視した進路指導が時に行われていた。とにかく手が届く国立大学に合格させる、という発想である。そもそも私大は進路指導の対象ですらなかった。