池田の傑出した学業成績とその反面の凡庸な生活の記録には、自嘲と大学批判のニュアンスがある。学士6名の記述を中心とする『赤門生活』という書物自体、「学問のための学問」とかけ離れた東大生の「点取主義」、とりわけ法科のそれに対する嫌悪感を隠さない。

「点取主義」の反面の「惰気」
勉強を放り出し遊びに没頭

「点取主義は法科大学に於ては卒業後まで続く、競争試験に勝つんだからとか、何とか、法科一流の理窟はいふやうだけれど、それでもその人のあたまのからつぽなのがわかるやうで寝覚がわるい。ことに法科大学の場合には、教へる方にも責任はある。彼等教授ともいはれる人々で試験委員になりたがつたり、学生を教ゆるに受験的に教へたりしてる傾があるんだから。点取主義には勉強が要る。勉強しない人には点が取れない、つまらないこと、その勉強は何にもならないための勉強なんだ」

 東大生は、パンつまり就職口を得るために成績にこだわる。彼らの「点取主義」は結局のところ他人を蹴落とす「我利我利主義」である。学問の府であるべき大学がそれに冒されていることを、『赤門生活』の著者たちは嘆く。