彼らが「点取主義の末路」として紹介するのは、天皇機関説(編集部注/統治権は法人としての国家にあり、天皇はその一部であるとの考え)批判で知られる憲法学教授の上杉慎吉(編集部注/明治から昭和初期まで存命した、憲法学者。東京帝国大学教授)である。

書影『「反・東大」の思想史』(新潮選書)『「反・東大」の思想史』(新潮選書)
尾原宏之 著

 上杉は「学校にゐる中は勉強してもその結果を見てくれる人があつたからよかつたが、出てからの勉強は一向つまらない、誰れにもわかりはしないから云々」と語ったという。教授の上杉ですら勉強の結果が点数で明示された学生時代を懐かしがっているのだから、教え子が「点取主義」に支配されるのは当たり前だ、というわけである。

『赤門生活』がもう1つの東大の「悪弊」として指摘するのは、「点取主義」の反面の「惰気」である。勉強自体を放り出し、野球やボート、テニス、ビリヤード、囲碁、トランプ、カルタ遊びの類にひたすら精を出す学生が多い。前述の池田も2年次にこれらの遊びに没頭したものの、結局は「点取主義」と「惰気」の間をうまく泳ぎながら恩賜の銀時計を勝ち取った。いずれにせよ『赤門生活』の著者たちがあるべき東大の学風と考えた、「真摯」「篤学」とは無縁である。