戦後、学制改革によって新制大学が続々と誕生し、帝国大学が新制大学と横並びになるのではという予測もあった。だが実際にはヒエラルキー上部には圧倒的に東大が君臨し続け、地方の旧帝国大学生は「東大コンプレックス」を抱え続けることになる。彼らの東大コンプレックス解消法とは?※本稿は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の一部を抜粋・編集したものです。
敗戦で軍隊などが解体された
なぜ帝大はそのままなのか
1945(昭和20)年、戦争に敗北した日本は、米国を主体とする連合国に占領された。GHQの指導下で推進された非軍事化と民主化は、もちろん教育にも波及した。軍国主義に親和的な教職者の追放や、航空学科など軍事につながる学科の廃止はその代表的な例である。
ということは、軍隊や内務省(編集部注/警察や地方行政など内政一般を所管する行政機関。現在の警察庁、総務省、国土交通省、厚生労働省など)が解体されたように、帝国大学そのものが解体されてもそれほど不思議ではなかった。
敗戦からおよそ4半世紀がすぎた頃、東大出身でパリ在住の哲学者森有正は、「どうして東大だけが、旧日本の中で解体を必要としないものでありうるだろうか」と問いを投げかけた(『朝日新聞』1968年10月16日)。
米国政府やGHQは、日本の教育の中央集権性や、少数エリートの特権性、官立・私立の差別などの問題を認識していた。当然、戦時体制を作った官僚の主要供給源である旧制高校――帝大ルートに対しても批判的な認識を持っていたという(『東京大学百年史』、天野郁夫『帝国大学』)。