講座制の大学には教育機能に加えて研究機能が期待され、大学院博士課程も設置されて研究者養成も託された。一方、学科目制の大学はもっぱら教育のための組織と割り切られた。予算面でも講座制の大学とそれ以外では雲泥の差が生じた(『新制大学の誕生』『帝国大学』)。

 地方新制大学の母体の1つである師範学校(編集部注/教員を養成する学校。戦前の日本および日本の統治地域に存在した)が高等教育機関と見なされていなかったことから、大学昇格は「2階級特進」だ、とか、県下各地の学校を統合したためキャンパスが分散していることから「たこの足大学」、駅弁のある駅には国立大学があることから「駅弁大学」、といった揶揄が生まれた。

 その一方で、研究機能や研究者養成機能を持つ旧帝大や一部の旧官立大が、その地方にある新制大学の教員ポストに強い影響力を持ったことは周知の事実である。たしかに大学はたくさんできたが、十全な機能を持つ大学は限定されていた。