戦前の学校体系は複線的で、人材育成目的も就学期間もまちまちだったが、戦後は6-3-3-4の単線的進学ルートに統一された。誰でも大学まで進めるようになった一方、学校を横に並べて比較することも容易になった。

 戦前の場合、年齢も進学ルートもバラバラの帝国大学と専門学校と師範学校の優劣を比べてもあまり意味がないが、同じ「大学」であれば小さな差異まで比較検討される。前出の筑波常治は、新制東北大学の農学部に入学したが、同級生たちの東大コンプレックスに「唖然となった」という。筑波自身は、東大と地方旧帝大の差は月にたとえると「十五夜と十三夜」程度だと考えていた。だが、どうも周囲は「太陽と三日月」だと思っているようなのである。

コンプレックス解消法は
実際には役に立たない

 筑波が観察した東北大生の東大コンプレックス解消法は4つある。第1は、開きなおって東北大の優秀さをひたすら強調することである。だが、これには「たえず誇大宣伝をやっているという後めたさ」がつきまとう。