銀行マンが「支店長引継書」を
必死に書き上げる2つの理由

 取引先へのあいさつ回りに向け、人事異動の発表翌日までに新支店長の名刺を500枚用意する。印刷業者を手配するのは、窓口を担当する預金課課長、すなわち私の仕事だ。預金課課長は総務の業務を兼務しており、支店長といった重役人事異動の際は、官公庁への届け出や多くの庶務事項で忙殺される。支店長のポストが空くのを本部部署で待っていた新支店長であれば、特に引き継ぎ事項がないので、翌朝に着任し来店することも多い。時間はないのだ。

 街の印刷屋やハンコ屋があちこちにあった頃は便利だった。今はインターネットを経由したサービスが主流になり、あらかじめM銀行のロゴが入った用紙に印刷をしてもらえる業者が見つからないのだ。ある支店では、新支店長の名前の漢字を誤り、血祭りにあげられた課長がいたという。緊張感が走る。

 引き継ぎ初日、つまり初めて新しい支店長がやってくる日には、名刺を揃えていなくてはならない。その日が人事異動発表の翌日になるのか、はたまた2週間後になるのか分からないため、見切り発車で急いで名刺を作るのだ。これは、配る名刺がないというみっともない目に新支店長を遭わせてはいけないという配慮である。

 また、名刺には右肩の余白に「新任ご挨拶」、異動して去っていく支店長には「転勤ご挨拶」と、ゴム印で赤スタンプを押印しなくてはならない。押印の際、曲がってしまったり、かすれてしまうのもNGである。

 この流れで翌朝に500枚揃えるのだ。通常業務をこなしながらで、なかなかに難易度は高い。適当な数量は分からない。とりあえずは500枚刷っておけば足りるかな、といったところだ。支店長はこんな総務の仕事などやったことなどないので、簡単なことだと思うだろう。

 そしてほどなく、一心不乱に「支店長引継書」を書き上げる。なぜ必死なのか。

 第一に、新支店長への心証を良くしたいことが挙げられる。私が書いた書類を手にして、初めての取引先を訪問するのだ。一読して理解できるよう、コンパクトにまとめる必要がある。

 新支店長は「支店長引継書」で担当者の力量を判断する。加えて、取引先の社長とスムーズにあいさつできるよう根回しできているかも大事だ。さらに、その社長から「担当者はよくやってくれている」といった言葉まで引き出せれば、満点に近い。

 支店長は、おおむね新年度の4月に着任し、おおよそ2年で異動する。デキる担当者であれば、異動する4月からさかのぼり、2月下旬頃から引き継ぎ準備に着手する。未熟な担当者はこの流れをつかめず、引き継ぎのペースを乱すことで、はじめから受難を背負うことになる。

 第二に、支店長から良い評価を得られなかった者にとって、支店長交替は千載一遇の敗者復活戦となる。いかに自分は有能で、大事な取引先を任され、仕事は早く正確であり、この支店を牽引しているのは自分だとアピールする最大のチャンスなのだ。