ドラゴン桜2『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第12回は「運良く成功を掴む人と勘頼みで失敗する人の違い」について考える。

受験に「運」は
必要なのか

「東大受けるのやめます」と宣言し、落ち込んだ様子で家に帰った早瀬菜緒。しかし、東大合格請負人・桜木建二はそんな早瀬を実家で待ち受け、「今日お前がやめることはわかっていたんだよ」と言い放つ。

 そして、恵まれた家庭環境を持つ早瀬に、「自分が幸運であることに気づかない。こういうヤツは不幸な人生を送ることになるんだよ」と喝破した。

 ズバリ、受験に運は必要なのだろうか。

 結論からいうと、もちろん必要だ。

 個人的なエピソードで恐縮だが、私の東大受験においても「運」に助けられたと思うことが2回ある。

 1つめは国語(現代文)の試験だ。全部で3問ある漢字書き取り問題の1つが、「こうでい」を漢字で書かせるものだった。正解は「拘泥」である。大人であってもすぐに答えられる人はそう多くないだろう。いわんや高校生をや、だ。

 私がこの問題を正解できた理由は、勉学とは全く関係のない生徒会活動にある。高校2年生の終わり頃、友達が作った企画書にあった「拘泥」の2文字が脳に焼きついていたのだ。当時は「なかなか独特な語彙を使うなぁ」としか思っていなかったが、今思えば儲けものだろう。

 2つ目は世界史の一問一答問題だ。「オリエンタリズム」の概念の提唱者として「エドワード・サイード」を答えさせる問題であった。ポストコロニアル時代の思想家の代表としてどの参考書にも掲載されている人物ではあるが、近現代文化史は受験の直前に習う受験生も多く、知識の定着が追いついていない分野の1つだ。

 しかし、高校3年の現代文の授業でたまたまオリエンタリズムをテーマにした文章を扱ったため、私はこの問題に答えることができた。

 これらの経験を、偶然だとは言いたくない。確かに、原体験との出合いは偶然かもしれない。だが、それらを言語化して記憶し、受験当日まで覚えていたことは、自分の努力だと胸を張りたい。

 持論だが、運によって成功した、あるいは失敗した体験は記憶に定着しやすい。良くも悪くも原体験との繋がりが明確であり、それを他人に説明して反復できるからだ。この意味で、今後に生かせる要素が多分にある。

日常生活でアンテナを張ることで
「運」の精度は格段に上がる

漫画ドラゴン桜2 2巻P93『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク

 付言しておくと、「運」と「勘」は別だ。

 例えば、選択肢問題で鉛筆を転がす(もう古い?)といった行動は「勘」だ。

「勘」は正解・不正解にかかわらず、「なぜ正解したか、しなかったか」を言語化できない。特に勘で正解してしまった問題は、自己採点の際に通常の正解と区別し難いため、復習の対象にすらなりづらい。模試などではぜひ注意していただきたい。

 本題に戻るが、運に頼るのは悪いことでもなんでもない。

 将来の「運」になりうる体験は日常のあちらこちらに転がっている。その体験を一つ一つ拾い集めていく力や、それらの体験をいざという時にすぐに引き出せるようにしておく力は間違いなく実力だ。

 とはいえ、入試問題で出されうる全ての題材を体験するのは不可能だ。英語や世界史の勉強のために世界中を旅行をするわけにもいかないし、遺伝子組み替えや原子力の実験を自力でやるのは無理がある。

 このように、「運」の母数を増やすのには限界がある。

 だが、その「精度」を上げることはできる。一度体験した、あるいは体験したとすら気づかないような些細な日常の出来事を、自分の中で正確に保管しておくこと。

 いかに日常生活にアンテナを張り、その場で感じた思いを自分の中で味わうかが大切だ。その能力は、必ずや受験後も役に立つことになるだろう。

漫画ドラゴン桜2 2巻P94『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク
漫画ドラゴン桜2 2巻P95『ドラゴン桜2』(c)三田紀房/コルク