ポイント経済圏を巡る20年にわたる覇権争いの全史を描いている『ポイント経済圏20年戦争』。同書の中では、人脈をチャンスにつなげる方法や、顧客に「刺さる」提案力といった、ビジネスパーソンにとって大いに役立つスキルや仕事術が随所に出てくる。153社、188人が実名で登場する同書の具体的なエピソードは、ビジネスシーンでの実践的な内容として参考になるだろう。今回は、同書から一部抜粋し、営業のタイミングの重要性について紹介する。(ダイヤモンド編集部)
沖縄のスーパーでTポイントが勝利も
楽天が機敏な営業でリベンジに成功
タウンプラザかねひででTポイントがスタートしてしばらくたった18年11月14日、笠原は金秀商事を訪問し、取締役に昇格していた呉屋秀將と面会する。笠原に対して秀將はこう漏らした。「Tポイントはデータの提供を求めても対応が遅い」。不満が募っていたのだ。笠原が聞くと、Tポイント側の担当者はすでに滝口彰から別の人物に代わっていた。
すでに楽天ポイントが破竹の勢いで経済圏を拡大していた。Tポイントに対する不満に加え、楽天ポイントの存在感が高まってきていたことが、金秀商事にポイント戦略を再考させるきっかけとなる。
ここでも力を発揮したのが電子マネーのEdyである。Edyは、現金の扱いを減らせるオペレーション上のメリットに加え、顧客のチャージによってまとまったキャッシュが先に得られる利点もあった。Edyを導入した他のスーパーでは、先に確保したキャッシュを店舗改装などの投資に充てていた。
ただ、デメリットもあった。それがポイントカードとEdyは別々のカードで運用されていたことだ。会計の際に、ポイントカードを読み込ませた後に、Edyで支払うという二度手間が発生することになる。笠原は、それを一度で処理できるような仕組みも提案した。
そもそもEdyは沖縄県内では広く浸透していた。元々はソニー系のビットワレットが立ち上げたEdyは、全日本空輸(ANA)と提携していた。Edyが楽天の傘下に入るまで、ANAはEdyの支払いでマイレージがたまるサービスに力を入れており、沖縄県内で利用が多かったのだ。
この楽天の「秘密兵器」に金秀商事側は飛び付いた。19年2月12日、笠原は金秀商事社長の知念三也と、取締役で財務を担当する島袋毅に会い、提案内容を説明した。知念らは前向きだったが、一点だけ懸念を示した。それが、カードの切り替え作業である。16年のTポイント導入時には、30万人の自社カード会員をTポイントに全て切り替えた。再びスタッフ総出で顧客に変更を呼び掛ける大プロジェクトを進める必要があった。
「またあれをやるのか……」。そう漏らす知念らに笠原はかぶせるようにこう言った。「またあれをやりましょう」。そして、楽天が40~50人の社員を応援として現場に送り込むことも約束した。笠原の一言に知念らの腹は固まった。「楽天でいこうと思う」。19年3月7日、金秀商事側はこう楽天に伝える。Tポイントの契約期間満了のタイミングで脱退し、楽天ポイントと組むことを決めたのだ。両社は同年7月に正式に契約を結んだ。
笠原は言葉通り、楽天の社員を沖縄に送り込んだ。以前、応援には腰が重かった社員も今度は皆張り切っていた。笠原が、派遣スタッフではなく社員を現場に送り込む理由は、顧客のフィードバックを基にノウハウが蓄積できるからだ。オペレーションはどんどん改善し、店頭での切り替えはスムーズに進んだ。そして、21年4月、楽天ポイントの取り扱いがスタートする。同時にTポイントは終了した。
金秀商事はスポーツ用品大手のアルペンに続き、Tポイントから楽天ポイントへの切り替えに踏み切った企業となった。この後、Tポイントから脱退する加盟店が相次ぐことになる。
(敬称略)