かつてスーパーヒーロー・コミックスの市場は、スーパーマンやバットマンを抱えるDCが支配していた。1990年代、破産を経験したマーベル・コミックスは、いまや映画界で圧倒的な影響力を誇っているが、現在の成功に至るまでには原作者スタン・リーの報われない奮闘があった――。本稿は、ジョアンナ・ロビンソン、デイヴ・ゴンザレス、ギャヴィン・エドワーズ『MCU 比類なき映画スタジオの驚異的〔マーベル〕な逆転物語』(フィルムアート社)の一部を抜粋・編集したものです。
失敗と破滅と破産から
マーベル・スタジオは始まった
マーベルがスーパーヒーローのコミックスを出版し始めたのはスタジオ設立の数十年も前のことだが、その始まりは似たようなものだった。1950年代、アメリカ合衆国上院がおぞましい内容のホラー・コミックスに関する公聴会を開いて以来、コミックス業界は混乱していた。
「タイムリー・コミックス」として1939年に刊行を始めたマーベルは、その後「アトラス」に名前を変えながら、他の出版社で人気のあったコミックスのジャンルを真似ることで商売していた。
「Millie the Model(モデルのミリー)」のようなロマンスものや「Rawhide Kid(ローハイド・キッド)」のような西部劇もあった。しかし都合の悪いことに、1957年にアトラス社は毎月8種類のコミックスしか発行できないという新聞スタンドでの流通制限をかけられ、従業員のほとんどを解雇する羽目に陥ってしまう。
当時スーパーヒーロー・コミックスの市場は、スーパーマン、バットマンそしてワンダーウーマンを抱えるDCが支配していた。