過去の歴史に学ぶ
流行した投信のその後は…?

 先述の通り、歴史を見てみると、投資信託の残高が過去最高となったものは、軒並みその後、下落しています。

過去の事例その1:ノムラ日本株戦略ファンド

 2000年はじめ、初の1兆円ファンドとして話題になったのが、「ノムラ日本株戦略ファンド」です。1990年代のバブル崩壊から10年たち、日本株相場は底入れしたと考えていた時代。「今度こそ日本株」と考えた野村証券が募集開始した巨艦ファンドでした。

 しかし、直後にITバブルの崩壊期が重なり、2000年の設定来から3年後には基準価格は6割下げ、4000円台に下落。その後、設定時の価格である1万円を回復することなく、再度リーマンショックで6割減となり、結局、基準価格1万円を取り戻すのに20年の歳月を要することになったのです。

過去の事例その2:グローバル・ソブリン・オープン(毎月決算型)

 次に、2000年代に流行したグローバル・ソブリン・オープン(グロソブ)を挙げましょう。グロソブは、毎月分配金型投信の先がけとなった商品で、個人投資家にとても人気の高い投資信託でした。

 毎月分配金型とは、投信を保有するだけで毎月利息のような形で分配金が支払われるもの。ただし、本当に資産が増えているわけではなく、投資元本を切り崩して配当を払うことも多々あり、“タコ足配当”として問題にもなりました。

 2002年には、先述のノムラ日本株戦略ファンドを純資産で追い抜き、1兆円ファンドとして話題になりました。最終的に、リーマンショックの直前には、5.7兆円の純資産を積み上げることになりました。

 しかし、リーマンショックやその後の円高、他の毎月分配金型投信の追い上げもあり、純資産は減少。基準価格自体も、設定来の1万円を超えていない状況です。今の純資産総額は2600億円となり、完全にブームは過ぎ去ったと考えていいでしょう。