なぜなら、空手を習っているということは、普通の人より力が強くなることを意味するからです。同じように素手で叩くのだとしても、空手を習っている人がそうするのは、凶器を使っているのと同じになってしまう。

 だから、同じことをやり返したつもりでいても、実際にはそれ以上のダメージを、相手に与えることになってしまう。したがってそれは不正な復讐になってしまうのです。

 彼はよく、頬を叩かれることがあったら、反対側の頬を差し出すくらいの心の広さを持ちなさい、と言っていました。残念ながら、私は彼の教えに反して、心の狭い人間に育ってしまいましたが、その教えは今でもよく覚えています。

ざまあみろ…「復讐=悪」と思い込む人が知らない「復讐の効用」『悪いことはなぜ楽しいのか』(戸谷洋志、ちくまプリマ、筑摩書房)

 後から知ったことですが、実はこの発想は、キリスト教に由来するものです(たぶん、師範はキリスト教徒ではありませんが)。『新約聖書』では、「目には目を、歯に歯を」というハンムラビ法典の規則が、名指しで批判されています。

 そこでは、この考え方に従うべきではなく、「もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と書かれています。それではやられっぱなしになってしまうではないか、と思いましたか?

 その通りです。そうやって復讐心に抵抗することこそが、キリスト教がもっとも重視する、愛なのです。