実際、私はそういう立場に陥る覚悟を抱きながら、ためらうことなく自分の人生に決断をくだしてきた。唯一お坊さんらしいところは、どんな時にも折れない強靭なメンタルを持っていることだろう。
強靭なメンタルを
育てた修行生活
なぜ私の心は折れないのか――。
やはり仏教のある生活は、メンタルを強く育ててくれるのか。
いくつか思い当たる節はある。
学生時代から俗世と離れたところで修行生活を何度も送ってきたから、かけがえないと思っていたものでも、いざ断捨離してしまうと楽に生きられることを知っている。
たとえば、今や私たちの生活にスマートフォンは欠かせないと思われているが、修行にはやはり持ち込めない。道場に入って早々は、いつもなら法衣のたもとに入れているスマートフォンを探ってSNS通知などを確認したい気持ちにしょっちゅう襲われるが、2、3日もすればスマートフォンを意識しなくなる。そこから先にあるのは、スマートフォンに振り回されない、静けさに包まれた穏やかな生活である。
また、お寺で暮らしていると、これから大学受験というシーズンや、家族が命に関わる手術を迎える時には、先祖に手を合わせにお墓参りに来る人がいる。申し訳なさそうに「お墓参りはお願いごとのためにするものじゃないんですけどね」と釈明されるから、間違ったお墓参りだと知りつつ、それでも拝まずにはいられないのだろう。その気持ちは私もすごく共感する。