集団が暴徒化したり、政治運動化したりすることを恐れたのだろう。このような状況を受け、ついに政府は対応に乗り出した。幹線道路を自動車以外が走ることを禁止。そして、河南省を始め、山西省、河北省など多くの大学が1カ月間の封鎖を実施した。外出には臨時通行証の申請が必要となり、この措置は人々にコロナ禍のロックダウンを想起させた。一夜にして状況は一変し、若者たちの熱狂は鎮静化された。

 この展開は、昨年大いに盛り上がった上海のハロウィン(参考記事)と同様のパターンといえる。熱狂的に盛り上がった若者たちの活動が、政府の介入により急速に収束させられたという形だ。なお、今年の上海のハロウィンでは、1週間前から警察が主要な場所で厳重な警戒態勢を取っていたため、大きな盛り上がりを見せることなく静かに終わった。

努力しても報われない、自己表現できない社会の閉塞感
現代中国における若者の心情

 コロナ禍以降も続く中国経済の低迷は、若者たちの生活に大きな影響を与えている。不況に加え、社会環境も大きく変化する中、若者の失業問題は年々深刻化している。努力しても報われない社会に対する閉塞感を抱く若者たちは、自己表現の機会を求めている。今回の集団サイクリングは、そうした若者たちの思いの表れと言えるだろう。

 インターネットの影響力が増大した現代では、組織的な動きやリーダーの呼びかけがなくても、ショート動画一つで大規模な人々の集まりを形成することが可能になった。小さな火種が瞬く間に燎原(りょうげん)の火となり、一触即発の状況を生み出す可能性があるからこそ、中国政府は厳重な注意を払い続けている。

 筆者が今年の夏に北京を訪れた際、有名な寺院で大勢の若者たちが真剣な眼差しで祈願する姿を目にした。大学教授である友人は「最近、寺院を訪れる若者が急増している。就職難などの悩みを和らげたい、心の安らぎを得たいという目的で来る人が多い」と説明した。

 東京に住む筆者は、日本と中国の若者の生活環境の違いを強く感じている。中国の若者はハロウィンさえ自由に楽しむことができず、自らの主張を表明する場も限られている。一方、日本の若者は自由を満喫でき、選挙権も持っているが、その権利を行使しない傾向にある。日本の若者たちを見ていると、「選挙権があるなんて恵まれているのに使わないなんて」「なんてもったいないんだろう、自分の意見を表明する場があるなんて、うらやましいことなのに」と話していた、中国の若者たちの顔を思い出してしまうのだ。