義母と同居した年月は、40年近くにも及びました。毎日、義母のさりげない「ありがとう」を聞きつづけて、いいものだなーと思ってきました。そのおかげか、わたしもいつの間にか、偉そうにもならず、卑屈にもならず、素直に「ありがとう」が言えるようになったように思います。以前のわたしは、なぜかいつでも「すみません」とか、「どうも」とか、口の中でモゴモゴとくり返すばかりだったのに。ひとつ屋根の下に長年一緒に住むということは、お互いにずいぶんと影響を受けるものなのですね。

 自然に「ありがとう」が言えたときには、自分までいい気持ちになってしまいます。それがわかると、ますます「ありがとう」と声に出すのが楽しくなってしまいます。

 もしかしたら、わたしは義母より「ありがとう上手」になったのかもしれない、なんて最近思ったりもするのです。

 人に対してだけでなく、わたしを生かしてくれている、わたしを気持ちよくさせてくれるあらゆるものに対して――たとえば、お風呂から上がると、わたしを温めてくれたお湯に「どうもありがとう」。よく眠れた朝は、枕や布団に「ありがとう」。大事なマンガを描くペンやえんぴつにも、また、庭先の美しい若葉にも、また、おいしいご飯にも、etc……言葉には出さなくとも、こっそり心で「ありがとう」を言いつづけているのです。

孫が毛筆で書いた
「感謝する心」にびっくり

 枕元の狭い壁一面に貼ってあるのが「感謝する心」。孫のマッチの書きぞめです。じつに気持ちよく太い筆で書いてあるので、どこかに貼っておこうと、妹がわたしの枕元に貼ってくれました。わたしが眠りにつこうとするとき、目覚めたとき、ときどき横を見ると、でーんと「感謝する心」があって、びっくりすることがあります。

 マッチは、小学1年になったころからずっと書道を習って、ときどきマッチのお母さんがナイショでマッチの書をわたしのところへ郵送してくれるのです。