しかし学び直しをすると、逆に、偉大なる叡知を受け継ぐ側の人間になれます。新たに教養という名の財産を築いていくことができるのです。これから学び直しをするにあたっては、ぜひ「継承」という視点を持ってください。

 では、継承はどのように行われるのか。

 たとえば福沢諭吉の場合、かなりの高齢になるまで、居合を日課にしていたそうです。かねて立身新流(たつみしんりゅう)の居合をたしなんでおり、『福翁自伝』にも「ずいぶん好きであった」という記述が見られます。

 何でも明治の半ばを過ぎ、60歳に届くかという年齢のときに、いわゆる過酷な千本抜を3回ほど行ったそうです。文明開化を説くような先進的な人物だった福沢が、武士の時代を引きずっていたのかと驚く人もいるかもしれませんね。

 けれども、それは早計というもの。おそらく福沢は居合を通して、精神文化・身体文化の継承を行っていたのだと思います。これはとりもなおさず、福沢が自らのアイデンティティは武士の精神・身体にあると自認していたことの表れでしょう。

 西洋文明を積極的に取り入れる一方で、日本人たる武士の魂を継承していく。そんな福沢の精神世界が垣間見えるようです。

 ほかに日本文化なら、たとえば「お茶を習うときは、千利休の精神文化・身体文化を継承することを意識する」「能を学ぶときは、観阿弥・世阿弥の精神文化・身体文化を継承することを意識する」といった具合。

 精神文化・身体文化の継承者たる自覚をもって学び直しをすると、背筋が伸びるようで、じつに気分のいいものです。

 もちろん精神文化・身体文化を継承するのに国境はありません。たとえばゴッホの絵と人生に触れて自身の生きる情熱に火をつける。ブッダの教えを読んで事あるごとに「ブッダならこう考えるよね。こうするよね」と自分と重ね合わせて行動する。プラトンの著作からソクラテスの人間性を少しでも身につける努力をする。対象が何であれ、そういった学び直しをすることが、精神文化・身体文化を継承することなのです。

 大事なのは、いろんなジャンルの教養を学び直す過程で、「継承」の視点を持って、いくつかの精神文化の柱をつくっていくこと。50代以降の「学び直し人生」で目指すべきは、

「私の精神世界はこのような文化でできています」

 と言える境地に達することであると、私は思います。