何も教養が情報・知識より上だと言いたいのではありません。情報・知識があるからこそ正しい判断をし、間違わずに行動できます。仕事を効率よく進めたり、より高い成果を上げたりするのに、利用価値の高いものでもあります。ただ「教養とは本質的に違うものですよ」ということを明確にしておきたいのです。

 では「教養を身につける」とはどういうことか。一言で言えばそれは、

「自分の心に精神文化の柱となるものをつくること」──。

 少しわかりにくいでしょうか。「精神文化」をもっと噛み砕いて説明しましょう。

 私たちがいま受け取っている教養は、元を正せば、古今東西の叡知あふれる誰かがとことん深く掘り下げて探究した、あるいはより高みを目指して挑戦して得られたものです。

 長い歴史のなかで、数え切れないほど多くの叡知あふれる誰かが教養を紡いできました。

 その結果、先人たちが「未来への遺産」として累積・形成してきた教養が、いまに継承されている「精神文化」なのです。

 教養を身につけるとはつまり、有史以来蓄積・継承されてきた「精神文化」を受け取り、自分の精神生活を豊かにするための柱としていくことなのです。

 50代のみなさんは、これから少しずつ仕事の最前線から離れていきます。もう仕事で結果を出すために、また競争を勝ち抜くために、シャワーを浴びるように情報を集めたり、分析したりする必要もなくなります。

 そのかわり、と言っては何ですが、人生の軸足を情報から教養に置きかえるのがいい。そうしてさまざまな分野の教養に触れて、人間性や知性を磨き、高めることに喜びを見出す。それこそが50代以降の人生にふさわしい、豊かな営みというものでしょう。

「継承」という視点を持つ

 50代くらいになると、「継承」という言葉を身近に感じられるのではないかと思います。

 たとえば仕事では、リタイアのXデーが近づくにつれて、自分がこれまで積み上げてきた知識・スキルを後進に継承しようと考えるようになります。

 50年以上生きてきた経験があればこそ備わった知恵や、蓄えてきた財産を次世代に継承することを意識するようになるでしょう。

 実生活ではそういう渡す役回りになりますが、それだけでは何となく寂しい。自分の大切なものがどんどん奪われていくようで、複雑な気持ちになるかもしれません。