単に自慢したいワケじゃなくて、こうして絵が描けたのは、デザイン科の高校で学んだ基礎があったからだし、描き文字が得意なのは看板屋だった時の技術だし、構図やレイアウトが綺麗なのはデザイナーの経験が活きているからです。

 また、デザイナーをしていた経験からお話しすると、「デザインは先天的なセンスが必要」と思いがちだけど、必ずしもそうではないです。

 デザインは知識や技術の組み合わせで、元のセンスより、持っている“引き出し”の数が重要だったりするんです。

 バランス良く見える構図や美しい配色など、それを“知っていること”で、デザインの可能性は広がるし、デザインソフトのスキルがある人とない人では、表現できる幅も変わってきます。

 多少のセンスの差はあれど、デザインが上手下手の差は、知識や技術などの持っている“引き出し”の差なんです。

人は感情が動く時に
「面白い」と感じている

「役に立つかどうか」って、“費用対効果”を気にしているのかもしれないですね。

「役に立たなかったら、かけたコストが無駄だった」と思うように、損をしたくない心理なのかもと思いました。

 そうした時間や労力のコスパから、倍速で動画を観る人もいるみたいです。

 しかし、これは情報は得られるけど、感動はできないです。ニュースは倍速で情報だけ得られればいいけど、映画やアニメは情報だけでは心が動かないんです。

 面白さは“感動”で、感情が動く時に「面白い」と感じます。

 その面白さに重要なカタルシスには、“間”や“溜め”が必要だったりするので、倍速視聴ではそれが得られずに、結果的に損をしている。

 費用対効果を気にする人生は、幸福度のコスパが悪いのかもしれません。

「意味のない無駄なことはしたくない」という気持ちもわかるけど、そもそも人生に意味はないので、極論、「生きても無駄」となっちゃいます。

 だからこそ、人生に意味や価値を見出すのも、人生の楽しみや目的になりえます。

 子どもの頃に、「これは、将来の役に立つハズだ!」って考えて遊んでなかったと思うんです。鬼ごっこもドッジボールも役に立つと思ってやってませんよね?

『一人反省会をして、いつも落ち込んでしまう人へ』書影『一人反省会をして、いつも落ち込んでしまう人へ』(コハラモトシ著、樺沢紫苑監修、日本実業出版社)

「面白い!」ただそれのみで行動していたと思うんです。

 大人になってもその遊び心は大切だし、「結果的に役に立った」でいいと思います。

 その気持ちでいれば、「役に立つかどうか」なんて後回しで行動できちゃうので。

「人生は思い出集め」だと思っているので、興味があるけど役に立たなそうだからやらないってのはもったいないです。

 死んだら何も残らないので、「役に立つかどうか」よりも、「やりたいかどうか」で行動するのもアリだと思います!

 せっかく生まれたのなら、思いっきり人生を楽しみたいですね!