「それで、何か違う勝負の仕方はないだろうかと考えて、これまでと全然違うアプローチでいくしかない、と。その時に、慶應らしさとは何かとか、僕らしさとは何なのか、真剣に考えて。元々、勝ち負けだけではない教育的な部分は意識してやっていましたが、従来と違うそういうスタイルの方が、野球の上でも勝負になるんじゃないかと」

 野球界というサークル内で指導者を評価する際、「甲子園出場に導いた監督」という実績は大きい。「甲子園監督」として箔がつき、ファンやメディアの見る目は変わる。

 森林が「甲子園監督」になったことをきっかけに、旧来型の価値観に染まるのではなく、改革志向に拍車がかかったというのも興味深い。

高校野球における森林監督の
意外な“一番の思い出”

 あなたの高校野球における、一番の思い出は何ですか?

 酒場に野球経験者が集った際、盛り上がる鉄板の話題だ。好投手から放った会心のヒットを語る者もいれば、心の傷ともいえるタイムリーエラーの悔しさを語る者もいる。概ね、試合中の出来事である。

 森林貴彦は違う。2年夏の新チーム発足とともに就任した新監督・上田誠から「セカンドへの牽制のサインを、自分たちで考えてみようよ」と言われ、暗くなるまで選手同士で活発に意見交換したあの日のことを、最高の思い出としている。

「やっぱりまかされた喜びが、そのままストレートにやりがいになったんです。自分たちで試行錯誤した結果、実戦でそのサインプレーが決まった。その一連の心の動きが、本当に大きく残っている。だから私も指導者になったら、やっぱりまかせたい。1人ひとりに『まかされる喜び』を感じてほしいんです」

 ただ、選手たちが高校野球をプレーできる時間は短い。わずか2年4カ月、甲子園出場を決めたチームでもそれに数週間が加わるだけだ。いったんはまかせたとしても、うまくいかない場合に指導者が「介入」する例は多々あり、その気持ちもわかる。