抗議殺到かと思いきや…
一夜明けた元日の毎日新聞によれば、NHKに届いた抗議や問い合わせは80件。「コンドームはいかがなものか」「家族全員で見ている番組で不謹慎」といった声が寄せられたというが、視聴率50%を超えた番組でその程度の数だ。
今ならTwitterで大炎上だろう。伝えるメディアも本木批判に回り、NHK側も謝罪に追い込まれる姿は想像に難くない。
だが、昭和はそうではなかった。年明けの紅白を取り上げた週刊女性は、本木を「ベストパフォーマンス」だったと称える。本木はのちに、ほぼ日刊イトイ新聞で「もう二度と呼ばれることもないだろうから、変わったことやって帰ろうぜ」と当たって砕けろで紅白に臨んだことを明かしている。
紅白をお化け番組に育てあげ「紅白の川口」の異名をとった当時のNHK会長、川口幹夫は定例会見で本木のパフォーマンスに触れ「いろんな意見があるだろうが、私自身はエイズ撲滅が目的ならいいと思う。そんな時代なのでは」と容認する発言をした。
実際、本木は翌93年にはNHKの音楽番組「ポップジャム」の司会に起用されており、お咎めなしだったようだ。少なくとも、表現というものに今よりずっと理解がある時代だったのだろう。
「辞めジャニ」だけどSMAPとも共演
この頃の本木について、もう一つ言及しておく。1988年のシブがき隊解散後、布川敏和と薬丸裕英はメリー喜多川が勧める事務所に入るも、本木は拒否し別の事務所に入ったと言われている。
この移籍でテレビに出られなくなると考えた本木は映画に積極的に出演し、俳優としての地位を固めることになるのだが、司会を務める「ポップジャム」では光GENJI、SMAPとも共演している。“辞めジャニ”との共演NGという働きかけや、テレビ局側の忖度はまだ薄かったのかもしれない。
本木が「ポップジャム」の司会を務めた1993年、SMAPの木村拓哉は「あすなろ白書」に出演し、現在まで続く“キムタク”人気が始まる。その勢いでSMAPや後輩のTOKIO、V6なども台頭。ジャニーズ事務所は芸能界に隠然たる影響力を持つようになる。その帝国が崩壊するまで、実に30年という長い年月を要したのである。
2023年の紅白歌合戦には、ジャニーズのタレントはひと組も出ない。実に44年ぶりのことだ。20歳どころか、アラフォー世代も見たことのない紅白が放送される。
ジャニーズのいない今年の紅白は芸能界のリスタートの象徴ともいえる。はたして紅白が指し示す未来の向きは、東だろうか、西だろうか。